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【新潟市中央区】『Ijirushi insieme』のオーナーシェフ・伊藤健之さんの“料理人生”に迫る! ~迷って、怒られて、立ち止まって。それでも料理がそばにあった~

配信日:2025年07月26日 更新日:2026年05月12日

アイキャッチ

 


【プロフィール】

伊藤健之(いとう たけゆき):県内の大学に進学し、バイト先で料理の楽しさに目覚める。一般企業に就職するも、料理への情熱が忘れられず、再び料理の道へ。32歳で自身の店をオープンし、一躍人気店に。東区から中央区へ移転後、スパイスカレーを主軸においた新店舗も展開。現在は、中央区水島町で店を営んでいる。


『新潟人263人目は、「イジルシ インシエーメ」のオーナーシェフ・伊藤健之さん。大学生時代に料理に目覚めたという伊藤さんは、どのように料理と向き合ってきたのか…。そして今、大切にしていることなど、様々なお話を伺いました!笑顔でご対応いただき、ありがとうございました♪』

バイトから始まった、すべての物語

——飲食業で初めて働いたのはいつですか?

伊藤さん:大学生のときのショットバーでのアルバイトが最初です。オーナーがイタリア料理店も経営していて、本格的な料理を提供していたんです。そこで料理にハマりましたね。

――当時の思い出を教えてください!

伊藤さん:料理が楽しくなって、学校にはほとんど通わなくなっていました。店長になってからは、さらに通わなくなって…。

大学を辞めたいと親に話したら、「リセットも兼ねて1年くらい海外に行ってみたら?」と言われて。すっかりその気になって(笑)、「バイトを辞めたい」とオーナーに話したんです。今思えば、あれが“ターニングポイント”でした。

――何が起きたのでしょうか?

伊藤さん:オーナーにものすごく怒られたんです。『お前は親御さんから大学に行けと言われたのか?自分で決めたのに、誰も知らない四流大学を中退なんて、かっこ悪いと思わないのか?』と。

とても悔しかったですね。「大学も店長も続ける」と親にもオーナーにも見得を切って、なんとかやり抜きました。

イジルシ インシエーメの店内

一度は就職の道へ。それでも忘れられなかった“料理の世界”

――それからずっと飲食の道を?

伊藤さん:違います。店長としての経験を通じて、飲食業の面白さは実感しましたが、「一般企業を知らずに社会に出ていいのか」と思ったんです。

まずは就職して、それでも料理の道が忘れられなかったら戻ろうと考えました。

『Ijirushi insieme』のオーナーシェフ・伊藤健之さん

――料理のことが頭によぎるようになったのはいつ頃ですか?

伊藤さん:端から見たらきっといい就職先だったと思うんです。給料も良かったし、週に2回、土日は休める。でも、俺には合わなかったんです。

あとから気づくんだけど、俺は余暇よりも仕事を優先したいタイプ。そもそも少しズレがあったんです。それに加えて、先に社会に出ていた友人の変化も俺を料理の世界に戻す要因になりました。

彼らなりに理想を持ちながら、少しずつ社会に流されるように変化していった彼らの姿に怖さを感じたんです。このままでは俺は一生、自分の理想にはなれないって。

――料理の道には、いつ戻られたのですか?

伊藤さん:就職して1年半ほど経った頃です。勤務先の経営が傾き始めたタイミングで見切りをつけました。

イジルシ インシエーメのパスタ

一からの修行。自分を押し殺す日々

――どこで修業をされたのですか?

伊藤さん:大学時代のバイト先のオーナーがシェフをしていたイタリア料理店です。馴染みのある店でしたが、店長時代とは扱いがまるで違いました。

――どんな違いがあったのですか?

伊藤さん:例えるなら、角界の親方と弟子の関係です。絶対的な上下関係がありました。辞めたいとは思いませんでしたが、関係性はあまりよくなかったですね。怒られるたびに、ナニクソって反抗するような気持ちもあったりして……。

そんなある日、真剣に向き合ってくれている大人に反発する若者の姿をテレビで見て、自分と重なってゾッとしたんです。それからは、「とにかくやり切るんだ」という気持ちで、料理と向き合うようになりました。

イジルシ インシエーメの店内

――料理がより楽しくなりましたか?

伊藤さん:料理の腕は上がっていきましたが、心は逆でした。今思えば、俺のことを育てようと親方なりに一生懸命指導してくださっていたのですが、当時の若い俺にはそれがキツかったんだろうなって。

調理場で毎日怒られているうちに、自分の気持ちに蓋をするようになっていましたね。でも、独立したいという思いはずっと心の中に持ち続けていました。

――転機となる出来事はあったのですか?

伊藤さん:5年ほど一緒に働いた兄弟弟子が、『複数の現場で修行したほうが料理人として幅が出る。辞めるなら僕がいるうちですよ』と言ってくれました。

身内の不幸も重なったタイミングで店を辞めて、しばらく別の店で修行しました。そして32歳で独立し、新潟市東区に自分の店を出しました。

イジルシ インシエーメのパスタ

念願の自分の店。でもお客さんが来ない

――オープン当初の様子を教えてください!

伊藤さん:まったくお客さんが来なかったですね(笑)。「甘海老のトマトクリームパスタ」をメディア掲載してもらったのですが、それからチラホラとお客さんが来るようになりました。

――現店舗につながるスパイスとの出会いは?

伊藤さん:中央区に移転して2年ほど経った頃、インドへ行く機会がありました。行ってみたら、当たり前のように3食カレー。

どんな料理でも、食べれば材料や香辛料、調味料などが予想できていたのに、カレーはまったく分からなくて……。「ナニコレ!?」と毎食感動して、俺の舌が喜んでいました(笑)。帰国して再現してみたら、それがまた楽しかったんですよね。

――スパイスの世界に魅了されたのですね!

伊藤さん:実は、インドに行く前からカレー屋の構想はありました。極論をいえば温めれば、OKな業態のカレー屋です。しかし、現地でスパイスに目覚めて構想はお蔵入りになりました。

イジルシはほかのシェフに任せて、自分がスパイスの店に入り、しばらくは数店舗を経営していました。

イジルシ インシエーメの看板

コロナ禍で見えた、本当に大事なもの

――新たな転機はいつですか?

伊藤さん:新型ウイルスの流行です。プライベートでも大きな変化があって、一度すべての店舗を閉め、現在の場所で再出発しました。

――再出発して変化はありましたか?

伊藤さん:“地域に愛されたい”という気持ちが強くなりました。以前は『他店に負けない』『うちが一番』でしたが、今は「当店の味を愛してくれる人たちをより大事にしたい」と思っています。

イジルシ インシエーメのパスタ

――新型ウイルスで意識も変わったのですね。

伊藤さん:新型ウイルス禍は本当に辛かったですね。近隣にチラシをポスティングしたり、テイクアウトを強化したり……。

昔からお世話になっている経営者の先輩方に助言をいただき、トライアンドエラーを重ねる日々でした。そんな中で、お客さん一人ひとりの顔がしっかりと見えるようになっていきましたね。

――現在の形態を続けていくことが目標ですか?

伊藤さん:そう思っていましたが、「本当にこのままでいいのか?」と考えるようになりました。“当店を愛してくれる人たちをずっと大事にしたい”というのは間違いありません。

一方で、生きるうえでの最もベースになる「本当の食」を提供し続けたいという思いもあるんです。料理だけではなく、空気感や時間、雰囲気。この店、俺だからこそ提供できるものを常に探して、極めていきたいんですよね。

イジルシ インシエーメの外観

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