【プロフィール】
田中毅(たなかたけし):新発田市出身。高校を卒業後、王紋酒造の前身・市島酒造に就職。新潟酒造学校に通いながら現場に立ち、酒造りを学ぶ。2003年からは酒造りのトップ「杜氏」に就任し、3年目には「全国新酒鑑評会」で初めての入賞をする。翌年からは5年連続で金賞を受賞するなど、数多くの賞を受賞している。
『新潟人229人目は、「王紋酒造」の杜氏、田中毅さん。高校卒業後に入社した日本酒の蔵元で酒造りのいろはを学び、2003年からは酒造りの旗振り役、杜氏に就任されました。今も最前線で酒造りを行っている田中さんに、当時の苦労エピソードや今後の目標を伺いました。素敵な笑顔で取材に応じてくださり、ありがとうございました!』
中学生時代に決まっていた就職先!?
——学生時代から酒造りに興味があったのですか?
田中さん:母の実家が新発田市内で酒屋をしていたくらいで、酒造りに興味はありませんでしたね。10歳で父を亡くした私のことを親戚が心配し、当時の社長に「将来雇ってくれ」と内々で約束を取り付けてくれていたんです。
——中学校を卒業してすぐに入社されたのですか?
田中さん:「高校は卒業しておきなさい」と社長から言われたので、高校卒業後から務めることになりました。
——入社後はどんな仕事を担当していたのですか?
田中さん:配達などを担当すると勝手に思っていたのですが、最初から造りに入ってくれと言われたんです。酒造りがまだまだ本番な時期の入社で、いきなりもろみ(※1)係の助手みたいな仕事を任されました。
※1-「醪」と漢字で表記されることもあるもろみは、蒸米、米麹、酒母、水を加えたものを発酵させて造ります。粘度の高い白濁した泡立ちのある液体で、日本酒になる手前の段階のこと。
——未成年で“お酒が飲めないからこその難しさ”もあったのではないですか?
田中さん:ありましたね。でも、蔵の先輩方が優しく指導してくれて、1年目はそこまで大変ではなかった印象です。
周囲の教えで多くを学んだ頭(かしら)時代
——2年目からは苦労されたのですね…。
田中さん:2年目から酒母(※2)を任されたんです。当社の蔵は“全国初の女性の酒造技能士を排出した”ことでも分かるように、当時から女性の雇用が多い蔵でした。
しかし、家庭の事情もあり、女性は深夜作業ができない方が多かったんですよね。そこで、私にお鉢が回ってきたわけです。
※2-日本酒造りの重要な工程である「酒母造り」で作られる、アルコール発酵を促す酵母を大量に培養したものです。日本酒の土台となる液体で、「もと」とも呼ばれる。
——酒造りの現場は厳しいイメージがあります…。
田中さん:入社当時の曽田杜氏は、そんなに厳しい方ではなかったですね。聞いたら何でも教えてくれたし、難しいことも的確に指示をくれました。
次に付いた中島杜氏も非常に優しい方でしたよ。杜氏として酒造りを担当するだけではなく、次世代の杜氏を育成するという役割も担っていたこともあり、非常に多くのことを伝えてくれました。約10年間、中島さんの下に頭として付き、勉強させていただきました。
——酒造りを学ぶ「新潟酒造学校」にも通われたのですか?
田中さん:高校を卒業して「もう勉強しなくていい」と思っていたのに、通えと言われて…(笑)。最初は嫌々でしたが、通うのは月2回だし、同年代の人たちにも会える場所として息抜きになっていましたね。
さまざまな「突然」が重なった杜氏1年目
——杜氏の先輩方から言われた、心に残っている言葉を教えてください!
田中さん:“チームワークの大切さ”ですね。「酒造りはひとりでできるものではない。チームワークを良くしなければ、酒の味にも表れる」と言われたんです。杜氏になってから、その言葉の大切さを実感しましたね。
——杜氏1年目のことは覚えていますか?
田中さん:1年目に中島杜氏が体調を崩されて、急に辞めることになったんです。「来年から杜氏をよろしくな」と言ってくださったのですが、教えていただいていないことも多かったので、顧問として1年間来ていただくことになりました。
——それは心強かったですね!
田中さん:10月の酒造りの開始時には来てくださったのですが、すぐに体調を崩されて…。その年の12月にガンで入院し、次の春には亡くなられてしまったんです。
——頼れる方が他界され、どのように乗り越えたのですか?
田中さん:蔵の近くには他にも日本酒蔵があり、その蔵の方々が教えてくださったんです。当時は東京農大出身の技術屋も在籍していたので、彼と一緒に力を合わせて、とにかく必死で酒造りをしていましたね。
毎日、冷や汗でしたよ。今思うと、あの追い詰められた状況があったからこそ、いろいろと覚えることができたと思います。
自分の経験を次の世代にもつなぎたい
——杜氏の仕事で最も気を遣うことを教えてください!
田中さん:酒類鑑評会などへの「出品酒造り」ですね。一緒に働く人たちは皆さんベテランなので仕込みの流れなどは把握していますし、いい酒に仕上げていくことに対しての心配はありません。
最後の工程は“私だけの仕事”です。絞りのタイミング次第で、酒の味はガラリと表情が変わってしまいます。“みんなの仕事の総仕上げ”という重圧を、毎年肩にずっしり感じながら出品用の酒造りをしています。
——杜氏3年目に全国新酒鑑評会で入賞、4年目からは金賞を5年連続で受賞されていますね!
田中さん:若手杜氏の勉強会「育醸会」に参加し、知識を得ていったことが大きかったですね。ほかの蔵の見学や他県の訪問などをして、いろいろな酒造りの方法を学びました。
また、当時の新しい酵母が当社の酒造りと相性がよかったことも影響していると思います。
——2022年には「王紋酒造」に社名を変更されましたが、日本酒づくりにおいて変わったことはありますか?
田中さん:変わっていません。当社の酒は、昔から「甘い」と形容されてきました。飲んだときにかぁ〜とくるのではなくて、“やわらかい口当たりで優しく広がる味わい”が特徴の「やわらかい酒」を変わらず造っていきたいと思います。
——最後に、今後の目標を教えてください!
田中さん:“後継者を育てたい”ですね。私が先輩方にしていただいたように、自分の持っている技術や知識を伝承して、次の世代に当社の味をつなげるタイミングが来ているのかなと思います。
【王紋酒造】
住所:新発田市諏訪町3-1-17
電話:0254-22-5150
営業時間:9:00~18:00
公式ホームページ:https://aumont.jp/
公式Instagram:@aumont_sake
王紋酒造の“やわらかい口当たりで優しく広がる味わい”が大好きなのよね~♪