プロフィール
木村 佑太さん(きむら ゆうた): 1995年、埼玉県川越市出身。保育園の授業で太鼓に出会い3歳から始める。中学1年生の時に見た鼓童の公演に魅了され、鼓童メンバーを志す。2014年研修所へ入所。2017年より準メンバー、2018年より正式メンバー。舞台では主に太鼓、笛を担当。特に力を入れているのは笛で、能管と龍笛などの演奏も担当する。研究熱心、責任感もあり他のメンバーから頼られる存在である。2020年「アース・セレブレーション」のオンラインライブ企画「ガシマシネマ」や、小編成公演の演出を担当。また、読売巨人軍とのコラボ楽曲『The Trooper』を作曲した。外部への指導も行い活動の幅を広げている。
3歳から始めた太鼓
――木村さんの生い立ちや趣味などについて教えてください。
木村さん:1995年生まれの埼玉県川越市出身です。幼い頃は大人しく、あまり手が掛からない子だったと言われていました。太鼓を始めたきっかけは、保育園の授業の一環でたまたま演奏する機会があったからです。
――幼いころから太鼓をされていたのですね!
木村さん:私自身はあまり覚えていないのですが、太鼓の練習が結構厳しく、練習の日になると保育園に行くのを嫌がって泣いていたと親から聞いたことがあります(笑)。小学校へ上がる時に、太鼓を続けたい卒園生が所属する太鼓チームがあり、そこで友達と一緒に続けました。それから、現在に至ります。
――太鼓一筋だったわけですね。
木村さん:実は5歳くらいから野球もやっていて、どちらかというと野球の方が好きでした(笑)。小学生までは野球の方に力を入れていました。将来の夢は、野球選手と言っていました。中学校でも野球部に所属していたのですが、その頃から肘を痛めたこともあり、太鼓をやろうかなという感じでした。
――野球がお好きだったとは…。他にもご趣味はありますか?
木村さん:太鼓以外の様々な音楽を聴くことが好きです。よく聞くのが、インストバンドという楽器のみで構成されたボーカルのいないバンドです。太鼓もどちらかというとインストバンドと同様、楽器だけで音楽を成立させるので勉強も兼ねて聴き始めたことがきっかけではまりました。
胸を張って「太鼓をやっている」と言えるように
――鼓童に入られたきかっけは何だったのでしょうか?
木村さん:きっかけは中学校1年生の時に、鼓童の公演を見たことがきっかけです。初めて見た時、とにかくすごいという印象と「こんなにかっこいいんだ」と思いました。「太鼓をやっている」と言うと「え?太鼓?」という古風なイメージに捉われがちですが、鼓童に入り、活動をすれば胸を張って「太鼓をやっています」と言えると思ったんです。
――鼓童の公演を見たことがきっかけだったのですね。
木村さん:そうです。高校卒業後に鼓童の研修所に入所しました。研修所にいる間は、テレビも携帯もパソコンも使えず、禁酒、禁煙、恋愛ごとも禁止と様々な制限があるんです。情報が得られるのは新聞くらいですね。リアルタイムの情報は得られなかったです(笑)。
――なかなか厳しい研修生活ですね…。若い方が多いのですか?
木村さん:高卒から大卒、今は25歳までの年齢制限がありますが、社会人を経験されてから入所する方もいます。そういった方も結構多いです。大体、研修2年間で舞台に上がれるかが決まります。全員が必ず正式メンバーになれるということでもありません。年によっては、0人や多い時は5人など年によって異なりますね。
――プロへの道は甘くはないわけですね。研修所はどのようなスケジュールなのでしょうか?
木村さん:朝5時に起床、5時5分から体操が始まり、そのまま所内の掃除をします。その後、休憩なく約7㎞のランニングを毎日行うんです。その後、8時半から稽古を始め、お昼休憩を挟み、夕食まで稽古です。夕飯後も稽古を行い、10時には就寝するというスケジュールです。
――稽古漬けの毎日ですね…。驚きました。
木村さん:意外だと言われるのですが、太鼓の稽古だけではなく、農作業や佐渡の芸能なども学びます。佐渡で有名な能や茶道、俳句なども学びます。色々な要素を取り入れて、自分から発信して行けるように、とにかく研修時は多くのことを取り組み、吸収する期間です。
――女性メンバーの方もいらっしゃいますよね。
木村さん:そうですね。女性メンバーも同じメニューをこなします。女性で耐え抜く人はすごいなと思いますね。また、正式なメンバーになる前に準メンバーがあり、1年間正式メンバーと一緒に演奏を経験した上で正式メンバーの選考があるんです。正式メンバーになるには、約3年を要します。
――現在、メンバーは何名いらっしゃるのですか?
木村さん:正式メンバーは34名で大小3チーム体制で活動をしています。それぞれのチームで各地を回り、公演をしています。メンバーの年齢も22歳~70歳と幅広いです。
公演ができない今だからこそ個々のスキルアップに
――木村さんが伝えたい鼓童の“魅力”を教えてください!
木村さん:幅広い年齢のメンバーで活動しているので、演奏する人によって同じ曲でも全く違う公演を楽しめると思います。渋い大人の味を出せる公演や若手だけのフレッシュな公演、中堅の方のどちらも兼ねそろえた公演など、この幅の広さが魅力です。
――演奏する方によって、違いがあるのですね。見ているほうも楽しいですね!
木村さん:鼓童のファンの方は、「今回はこのメンバーが来るから」とか「看板となる演目の大太鼓は、この人なんだ」という風に同じ演目でも演奏者が違うと違う味が出せるので、そういう楽しみ方をされる方もいらっしゃいます。
――国内外で公演をされているイメージがありますが、新型コロナウイルス感染症の影響があったのではないでしょうか?
木村さん:かなりありました。丸々中止になったツアーもあります 。私達は普段、公演を行っているので、作品を作る時だけ佐渡に帰ってきていたのですが、このコロナ禍はずっと佐渡にいました。
――コロナの影響で今まで通りの活動ができなくなったのですね。
木村さん:しかし、コロナ禍だからこそできることも増えました。稽古はもちろん、ネット配信やSNSでの発信に力を入れました。あとは、色々なサイトに鼓童の音楽を展開しています。最近ですと、読売ジャイアンツとコラボもしました。
――読売ジャイアンツとのコラボ曲は木村さんが作曲されているんですよね。
木村さん:そうなんです。元々、読売ジャイアンツのファンだったので本当に嬉しかったです。昨年のコロナ禍で公演がなかった時にお話しをいただいて、2週間くらい朝起きて深夜までコラボ曲のことをずっと考えていましたね。
――その他、公演ができない時に取り組んだことなどはありましたか?
木村さん:SNSに力を入れたり、自分たちで写真や動画の撮影や編集、作曲など個々のスキルアップの期間になったと思います。また、私達の姿を公演でしか見れなかったところから、気軽に触れることのできるSNSで発信できているので良い意味で、より身近に感じてもらえるようになったと思います。
鼓童の核となるメンバーへ
――県外出身の木村さんにとって、佐渡はどんな場所ですか?
木村さん・不便な点もあるのですが、佐渡へ帰った時は素の状態になれます。佐渡には自然が多くあるので、どんな気持ちでいても浄化させてくれるんです。だからこそ、作品を作る時に必ずテーマになるのが佐渡の自然だったりするので、やはり佐渡でなければ生まれない作品や曲があり、私達には欠かせない場所だと思っています。
――今までで印象に残るエピソードを教えてください。
木村さん:新人の時に参加したヨーロッパツアーで、当時は色々な先輩方に指摘を受け、正直へこみながら舞台に上がっていました。ドイツでの公演後、片付けをしている際に通りかかったお客様が駆け寄って来てくださって「最高な演奏をありがとう。今日は私の誕生日で、夫からのプレゼントで見に来たんだけど、今までで一番最高な誕生日でした」と言ってくださったんです。正直、その時は人を喜ばせることができていないと思いながら必死に舞台に立っていたので、声を掛けていただき、自分のやっていることは間違っていないんだなと思いました。より、お客様に自分の想いを伝えられるようになろうと新人ながらに思った瞬間でしたね。
――直接声を聞けるのは嬉しいですよね。メンバーやスタッフとの印象に残るエピソードはありますか?
木村さん:たくさんあります(笑)。研修所で指導してくれた方を1番尊敬しているのですが、その方が舞台に上がる時の心得の中で、「舞台に上がる時は見に来てくれているお客様にとっては、人生で最後の舞台になるかもしれないし、その時間を頂いているからこそ自分たちはどんな状況であっても、全身全霊で立ち向かわなければいけない」と言っていたんです。研修生の時にお話しいただいたのですが、その言葉を今でも胸に刻んで活動しています。
――最後に、今後挑戦したいことを教えてください!
木村さん:鼓童としては、現在40周年記念のツアーを回り、今年はオーケストラとの共演や東京のオーチャードホールという有名な場所での連続公演も決定しているので、今まで公演できなかった分、吸収してきたエネルギーを発揮したいと思います。また、個人的には学校公演班で秋からリーダーとしてツアーを進めていくので、リーダーシップを執りながら、鼓童の今後の核となる演奏者になりたいです。
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