プロフィール
山本 美幸:富山県生まれ。4歳の時に新潟市東区に引越し、新潟で育つ。加茂暁星高校に通い、卓也さんと出会う。OL時代はモチベーションが欲しいとマクドナルドと掛け持ちで働くほど活力に溢れている。現在は「えんでばよこごし」の代表と「ミシンの友愛」を経営している。
山本 卓也:加茂市生まれ。早く高校が決まれば遊べるという考えから加茂暁星高校を受験し入学。そこで美幸さんと出会う。前職では重機の整備士をしており、今では「よこごし和梨のふるさとパウンドケーキ」を作り、店長として「えんでばよこごし」を支えている。
出会いは高校生
――お2人の生い立ちや経歴を教えてください。
美幸さん:私は富山県出身です。新潟市に来たのは4歳の時で、東区に住んでいました。卓也さんは、加茂市出身です。私達、出会いは加茂暁星高校なんです。高校に私は1年遅れて入学したんです。だから、歳は1つ上ですが、同級生ですね。3年間同じクラスでした。でも、接近し始めたのは高校2年生の頃でしたね。
卓也さん:当時、月曜日の1時間目が体育だったので、それが嫌で大抵朝はいなかったです(笑)。
美幸さん:いわゆる不良がたくさんいましたね。簿記やパソコン、会計などの勉強をして、事務のスペシャリストになるんだという気持ちで過ごしていました。勉強は嫌いだったのですが、簿記だけ頑張って高校3年生の時に簿記の資格を取得しました。今こうして会社経営ができるようになったのは高校で学んでいたお陰ですね。
――おふたりは高校生の時に出会っていたのですね!
美幸さん:喧嘩もしながら、出会って9年目で結婚しました。なんで結婚したのかを話すと「余計なことを…」って言われるんですけど(笑)。当時、事務をしていたのですが、ある日会社を辞めたんです。会社を辞めると保険証を返さなければいけないですよね。保険証のない冬の寒い時期に体調を崩してしまったのですが、すぐ再就職できると思い、国民健康保険も受けずにいました。でも、なかなか再就職できなくて。どうにかして保険証を…と考えた次の行動が結婚でした(笑)。それで、「悪いけど結婚してくれない?」と卓也さんに言ったんです。
卓也さん:彼女は私にプロポーズされてないとよく言うんですけど、私がされた側ですからね。タイミング見計らっていたら、先を越されました。
お互い別の道から「えんでばよこごし」へ
――「えんでばよこごし」をオープンされる前、おふたりはどんなことをされていたのですか?
卓也さん:私は重機の整備士をしていました。そこで15年働いていましたね。男手が無いとマンパワーがいるときに困るからと言われて、整備士の仕事を辞めて「えんでばよこごし」に入りました。工場で作業をする仕事だったので、何もかも初めてでしたね。
美幸さん:事務の仕事を辞めた後、ミシンの会社のパート募集を妹が見つけて、元々ミシンや裁縫が好きだったのでそこにパートの事務員として就職しました。最初は事務で入ったのですが、外回りや修理をする方が楽しくて、早々に職務変更をしてもらい、ミシンの修理・販売の仕事をしていました。その時に、どうやって営業成績を上げようか、どうやって自分たちを知ってもらおうかと考えました。実際にお客様は指名してくれる方が多く、どうしたら指名されるんだろうと考えた時に、ミシンじゃない仕事だと思ったんです。例えば、電球変えるとか重いものを動かすとか、人の繋がりや営業成績が良い方は目的以外のこともしているんだなと気づきました。
――どんどんミシンの営業にはまっていったのですね。
美幸さん:そうですね。でも、1人目の子どもを出産するタイミングで、ミシンの会社が倒産してしまったんです。お客様との人脈も増え、ミシンについてもより深く知れていたのにとても残念でした。仕方がないことなので、また就職活動を始めようと思っていた時に、ミシンのお客様から連絡があったんです。ミシン屋さんはあまりないですし、それこそ、女性のミシン屋さんが少ないんですよね。そういった意味でも、必要としてくれる方がいて、お客様から「ミシン屋やればいいじゃない。」と言われたことをきっかけに2011年に『ミシンの友愛』という名前で店舗を持たないミシン屋を始めました。
――卓也さんは前職を辞めることに抵抗はなかったのですか?
卓也さん:全くないと言ったら嘘になりますが、長い間やってきたのでこれもちょうど良いきっかけになるかなと思ったんです。でも、同じ建物の中で夫婦で仕事するって結構大変なんですよ。普通の企業であれば、家族経営でない限りみんな他人ですが、夫婦だと文句も言い放題ですからね(笑)。
「人と人が繋がる場」を作りたい
――「えんでばよこごし」をオープンされたきっかけを教えてください!
美幸さん:ミシンの友愛を起ち上げた年に、東日本大震災が起きました。これからやろうというタイミングだったのでとてもショックでしたね。ミシンなんて言ってられないと思ったのですが、やると決めたのでイベントにも参加して活動を広げていました。当時は、ハンドメイドのイベントがあまりなかったので、自分で企画しようと思い始めた時に友達から「東日本大震災でミシンが津波で流されて困っている人がたくさんいるから、ミシンを集めて送ってあげたら喜ぶよね」と言われて、新潟でもやろうと始めたんです。全部で50~60台集まりましたね。この活動を通じて、「人と人が繋がる場」の必要性を強く感じ、公民館を間借りするなどしてイベントを開催していました。
――「人と人が繋がる場」を作ろうとできたのが「えんでばよこごし」なのですね。
美幸さん:色々な場所でやっていたのですが、毎日イベントができる場所があったら良いよねとなり、空き店舗利用の案内をもらった時に、交流スペースを作ろうと現在の場所を借りたんです。2014年7月13日に「えんでばよこごし」をオープンしました。
――「えんでばよこごし」の名前の由来は何なのですか?
美幸さん:「えんでばよこごし」の名前は募集を行って、100通程の応募の中から秋田県の方のアイデアを採用しました。「えんでば」は“ご縁の場所”、英語のEndeavor(エンデバー)“努力しましょう”という意味も込められています。それがどこにあるのとうことで“横越”を付けて「えんでばよこごし」です。
――「えんでばよこごし」はどのような場所なのでしょうか。
美幸さん:どういう場所ですかと聞かれることが多いのですが、難しいんですよね。ご飯を食べに来る方もいますし、地元の団体の打ち合わせ場所に利用する方もいますし、来る方によって様々ですね。皆さん目的を持って来られるので、そういった方がここはこういうとこだと思って来ている交流スペースだとも思います。
――来る方によって、形を変える交流スペースですね。
美幸さん:そうですね。定食もあるし、ケーキもあるし、イベントもしているし、駄菓子もあるし・・・亀田縞を使って衣服や小物を作って販売もしています。ミシンや裁縫などの講座をやっている中で私が作ったエプロンが欲しいと言われることもあり、「ENDEBA亀田縞」という名称でブランド化しました。と言っても、タグをつけただけですけどね(笑)。
存在し続けるために
――お客様との印象に残るエピソードを教えてください!
美幸さん:SNSを利用した縁のつなぎ方を大切にしていて、LINE@、ブログ、Facebookを活用しています。普段、あまりSNSで買ってくださいとかお願いはしないのですが、賞味期限切れ間近のコーヒーを1,000個在庫していたんです。捨てるわけにもいかないのでSNSでお願いの投稿をしたら、今までのご縁で繋がった方がみんな買うよと言ってくれて当日に全て売り切れました。人との繋がりってこういうところであるんだなと感じましたね。ミシンの仕事をしている間にSNSで拡散され、あっという間でしたね。ピンチになると誰かが助けてくれるというのはいつも感じています。
卓也さん:毎月必ず会いに来てくれるお客様がいるのは嬉しいですね。来ると必ず話をするので。あと、隣の家の方も私達を頼りにしてくれています。この前の大雪の時も、子供と一緒に除雪をして、喜んでもらいました。こうした支え合いが大切だと思っています。
――最後に、今後の目標や挑戦したいことを教えてください!
美幸さん:改めて「えんでばよこごし」は、繋がりが生まれる場所だと思います。交流スペースというのは、子ども食堂や茶の間に集って問題を解決するということは誰もが分かっていることなんです。ですが、どうやって維持していくかというのは地域に発信、伝え続けなければいけないなと思っています。ここでは、色々な相談を聞くのでそういう場所として今後も在り続けたいですね。私達も歳を取るので、今後、若い子たちが「引き継ぎますよ」なんて言ってくれたら嬉しいです。
【えんでばよこごし】
住所:新潟市江南区横越川根町3-1-48
電話:(店舗)025-250-7810 (店長直通、レンタルスペース申込先) 025-383-8432
営業時間:10:00 〜 17:00
定休日:火曜日、他
アットホームな雰囲気で居心地が良いわ~素敵な空間だからぜひ訪れてほしいわ!