【プロフィール】
冨高由喜(とみたかゆき):兵庫県出身。テレビ朝日系列「UX新潟テレビ21」のアナウンサー兼記者として、スポーツや司法取材を担当。ニュース番組のキャスターを務めたほか、討論番組MCやドキュメンタリー番組を制作する。2020年からフリーアナウンサーに転向し、テレビCM、企業の動画ナレーションやスタジアムMCのほか、局アナ時代から続けている拉致問題などの取材や対談・集会の司会も行う。
『新潟人224人目は、フリーアナウンサーの冨高由喜さん。高校時代のさまざまな経験を経て、アナウンサーになることを志したそうです。UX新潟テレビ21のアナウンサーとなった経緯をはじめ、フリーとなって取り組んでいることや今後の夢などのお話を伺いました!』
高校時代の出来事が後押しに
——アナウンサーにはいつからなりたいと考えていたのですか?
冨高さん:物心がつく前からアナウンサーになりたかったようです。幼稚園のころに「世界に羽ばたく冨高リポーターです」と録音したテープが実家で見つかって、自分でも驚きました(笑)。
——将来の職業として決めたのはいつだったのですか?
冨高さん:高校生のときですね。BBCが制作したルワンダの大虐殺のドキュメンタリーを見て、「人の気持ちを動かす番組を自分も制作したい」と思ったことや、阪神大震災時に神戸のFM局の方の言動を見て、「災害時に自分も何かできる人間でありたい」と思ったことがきっかけです。
——さまざまな“きっかけ”が重なったのですね。
冨高さん:兵庫県の朗読大会で優勝した際に「自分の声は武器だ」と気づいたことなど、さまざまな要因が重なって“より具体的にアナウンサーを夢見る”ようになりました。
——大学は法学部へ進学されたそうですね?
冨高さん:高校は全国で唯一の演劇学科だったのでした。しかし、当時はあまり勉強していなくて、学ぶことに向き合いたいと思い、法律を専攻しました。
——当時、アナウンサーになるために勉強したことはありますか?
冨高さん:全くしていませんでした。最初の面接試験で準備のなさを痛感し、大阪のテレビ局が開校していたアナウンス学校に通い始めました。
学校の先生たちは当然アナウンサーなのですが、皆さん関西弁。私も当時はバリバリの関西弁で疑問にも思わず、結果的に共通語を話せないまま他局の試験に臨むことに……。発生と滑舌だけは高校時代に培っていたものが生きましたが、学校で学んだのは自己紹介くらいという結果になってしまいました(笑)。
仕事感を大きく変えた中越地震
——テレビ局は何社受けられたのですか?
冨高さん:全国各地の局を40社以上受験しました。地元と東京の会場がある地方局の試験では「東京には優秀な方が集中している」と考えて、わざわざ地元の会場を選択して試験を受けていましたね(笑)。
内定をいただいた局もあったのですが、最終的に総合職の採用でした。夢を諦められず、最後の最後に受けたのが『UX新潟テレビ21』です。
——入社当時のエピソードを教えてください!
冨高さん:入社してからも、まったく関西弁が抜けなかったんです。緊張すればするほど関西弁しか出なくなり、「関西弁が一回出るたびに500円」「実家に電話は禁止」と先輩から言われるほどでした。
気にするほど何も話せなくなってしまって……。とにかく練習して、少しずつ直していきました。
——最も印象に残っていることを教えてください!
冨高さん:中越地震ですね。災害地に行ってリポートしたのですが、一日10回ほどの中継をするなかで、“目の前で起こっていることを自分の言葉でどう伝えるか”、その大切さを体感できたことが非常に心に残っています。
——その経験から大切にしていることはありますか?
冨高さん:何があっても大丈夫なように“120%の準備”をすることです。1時間の番組進行なら1時間しゃべってみて、どう伝えるのか考えています。ナレーションでは、マイクやモニターの位置が邪魔になって伝えにくくなっていないかなど技術、手法を必ず確認します。
これのもととなったのは、仲良くしていただいた他局の先輩アナウンサーのおかげです。失敗するたびに「どうすれば良かったのか」を夜通し教えていただいた、あの時期は私の財産ですね。今でも相談することがあるくらい、仲良くさせていただいています。
サッカーや拉致問題。今も向き合う2つのテーマ
——サッカーの取材にはいつから行かれていたのですか?
冨高さん:入社1年目からです。中継の2日前に先輩が行けなくなり、アルビレックス新潟の選手も監督も全く分からない状態で代打リポーターに。サッカー中継がどのように行われるのかをほとんど知らずに臨んだ初回はひどいものでした。
——初回は悔しい結果となったのですね……。
冨高さん:それが悔しくて、当時のサッカー担当記者に頼んで、アウェーにも付いていきました。選手や監督に取材をする中で、担当から「全国ニュースの30秒の原稿から書いてみるか」と言われるようになり、少しずつリベンジを果たせるようになりました。
——同時期に「北朝鮮の拉致問題」の取材を始めるようになったそうですね?
冨高さん:アルビレックス新潟に所属(当時)していた、北朝鮮国籍の選手「安英学(アン・ヨンハ)」さんがきっかけでした。
彼は新潟の朝鮮学校に訪問するなどしながら、関係者にしか分からない苦しみや思いに寄り添う選手でした。彼と話をする中で、サッカー以上のドラマがあることを知り、取材させていただいたんです。
——それが「在日朝鮮人Jリーガー〜アルビレックス新潟 安英学〜」というドキュメンタリーですね!
冨高さん:ナレーションまでできたら良かったのですが、当時の私のスキルでは伝わるものも伝わらなくなると考え、俳優の遠藤憲一さんに依頼しました。これを機に、北朝鮮や拉致問題に関する会の司会や番組制作などもさせていただくようになりました。
——2020年からはフリーアナウンサーとして活動されているのですね!
冨高さん:2人目の子どもを出産した後異動になったので「より伝えるということに向き合いたい」と考えたのが最大の要因です。今は、ナレーターや司会、ラジオパーソナリティー、伝え方講師、スポーツライターなど多様な側面から伝えることに取り組んでいます。
——最後に、今後挑戦したいことを教えてください!
冨高さん:「国際ユースサッカー」や「WEリーグ」のスタジアムMCをやらせていただいているのですが、最終的には“日本代表の試合を担当してみたい”ですね。
現在、サッカー日本代表のスタジアムMCを務めているフリーアナウンサーの関野浩之さんは、60歳を超えても今も現役。私も3年前からご指導いただいていますが、声の仕事は“鍛え方によって年齢を重ねてもずっと現役でいられる”と再確認する日々です。「自分の声で伝えることをずっとやり続けていきたい」というのが夢ですね。
【とみたかゆきのシバタイムズ】
エフエムしばた(76.9)
放送時間:毎週木曜日12:30~13:30
エフエムしばたInstagram:@fm_shibata769_shibaradi
冨高さんの今後の活躍にも注目ね♪