【プロフィール】
遠山浩司(とおやまこうじ):旧荒川町(現村上市)出身。1865年創業の老舗菓子店に生まれる。高校を卒業後、東京の製菓学校へ進学。その後、和菓子店や有名ホテル、ドイツ菓子店での修業を経て、店の6代目としてケーキを作る。SNSでバズったケーキ「たまふゆゆ」が県内外から高い人気を集めている。
『新潟人201人目は、村上市のスイーツ店「パティスリーマルヤ」の6代目・遠山浩司さんです。フルーツロールケーキを皮切りに、プリンで全国的な人気を獲得。現在はSNSから人気に火がついた「たまふゆゆ」と、常に新しくおいしいケーキを作り出している遠山さんに、ケーキ職人になった経緯やこれからの目標を伺いました!素敵な笑顔で取材に応じてくださり、ありがとうございました!』
本当は継ぎたくなかった家業
——幼い頃から家業を継ごうと思っていたのですか?
遠山さん:もともとは継ぎたくなかったんです。子どもの頃は「プロ野球選手やアーティストになりたい」と店を継ぐのを回避するためにいろいろと夢を見ていましたね(笑)。しかし、トライするのですが才能がないことにすぐ気がついて…。高校進学の際に店を継ぐことを決心しました。
——製菓学校へ進学するまでにお菓子作りの経験があったのですか?
遠山さん:高校生の時にモテたくて、チーズケーキを作って配っていたくらいですね!(笑)製菓学校では飲み込みが早かったこともあり、実技試験でケーキを作ると先生から高い評価をいただいたんです。「ケーキ作りって面白い!」と思えるようになりましたね。
巡り合った師匠と驚きの味
——製菓学校を卒業後はどちらに勤められたのですか?
遠山さん:製菓学校で和菓子を学んでいた関係で、就職先は和菓子店しか提示されなかったんです…。赤坂にある宮内庁御用達の老舗和菓子店へ就職しましたが、主な仕事は接客と皇室への電話対応でした。
退職して目指していた洋菓子の世界への行き方を模索していたら、遠い親戚からの紹介で新宿のヒルトンホテルに勤めることになりました。
——洋菓子の世界へ飛び込めたのですね!
遠山さん:そうですね。しかし、担当がケーキバイキングでした。量をこなすのが主で、チョコや焼きなどそれぞれのジャンルに専門のパティシエがいるんです。「このままでは成長が見込めない」と考えて、一年ほどで退社しました。その後、“生涯の師”と仰ぐ方のお店で働くことになります。
——それはどちらのお店ですか?
遠山さん:すでに閉店しているのですが、東京の京王永山駅の近くにあった「ヒューゲル」というお店です。師匠の作ったミルフィーユを初めて食べた時の感動は今でも忘れられません。寡黙だけど優しい師匠のもとで、朝5時半から21時まで必死に働きました。あの時に、あれほどの大変さを経験したからこそ、今も多少のことなら頑張れていると思います。
——師匠との思い出エピソードを教えてください!
遠山さん:師匠はバースデーケーキをその場で受けて作ります。女性スタッフと師匠の3人で一斉に作業をするのですが、生クリームが立っている状態であればものの5分で完成します。“お客様の喜ぶ顔を見るために一生懸命に作るのが当たり前の環境”だったので、実家に戻ってからもそのスタイルは受け継いでいますね。
修業時代の経験が生きた1回目のバズり
——実家に戻るきっかけは何だったのですか?
遠山さん:父親が急に倒れたんです。といっても、ぎっくり腰だったのですが、しばらくケーキを作れない状況だったので、「そろそろ年貢の納め時かな」と考えて、27歳の時に戻ってきました。
——戻ってきてから順調にケーキ作りができていたのですか?
遠山さん:修業先と道具が違うので、順調にはいきませんでした。使い慣れていない道具のクセを理解し、納得のいく商品を出せるようになるまで半年程かかりましたね。
——それが変わるきっかけがあったのですか?
遠山さん:戻って1年ほど経った時にオーブンを新調したんです。当時流行っていた「クッキーシュー」を作って、焼き立てのシューにオーダーを受けてからクリームを詰めて販売しました。大行列ができるほど売れて、本当にありがたかったのですが、日に日に客足が少なくなっていったんですよね。「別の柱を作ろう」と考えて行き着いたのが、「フルーツロールケーキ」でした。
——なぜ「フルーツロールケーキ」だったのですか?
遠山さん:修業をしていた「ヒューゲル」の近くにあったお店の名物がフルーツロールケーキでした。当時は、バタークリームを使ったパサパサしたものしかない中で、たっぷりの生クリームにフレッシュなフルーツがゴロゴロ入ったロールケーキを私流に再現したんです。
これが大当たりだったのですが、原価計算をしっかりしていなかったので実入りが少なくなってしまって…。値段設定を間違っていることに気が付いたのは、しばらく経ってからのことでした(笑)。
衝撃的な味わいの牛乳と人のご縁で2回目のバズり
——人気商品「王様プリン」が生まれたきっかけを教えてください!
遠山さん:高校時代の後輩で、当時“胎内市でチーズ職人をしていた高橋雄幸くん”が、「うちのジャージー牛乳を使いませんか」と店にフラッと顔を出しに来たんです。飲んでみたら、乳脂肪分や乳タンパク質が高いのでとてもコクがあって、そのままでも甘かったんですよね。
——そのジャージー牛乳を生かそうと考えたのですね!
遠山さん:考えた結果、たどり着いたのが“プリン”でした。牛乳の甘さを生かすため、砂糖の量を極力減らし、硫黄臭さを除くために卵は卵黄のみを使うことにして、奇跡的に2回の試作でほぼ味のベースが完成したんです。
——なぜ「王様のプリン」と名付けたのですか?
遠山さん:ジャージー牛はイギリスのジャージー島に由来するのですが、その昔は王室の人しか飲むことを許されていなかったそうです。そんな“王様の気分をプリンで味わってもらいたい”という思いを込めました。
——このプリンがお店の名を全国区にするきっかけだったのですよね!
遠山さん:新潟県創造機構が全国のバイヤー向けに作った雑誌に、「王様のプリン」が掲載されたんです。それを機に新潟伊勢丹の催事に呼んでいただき、「プリン博覧会」の新潟代表に選ばれたり、「プリン・ド・オール伊勢丹新宿店」で人気No.1になったりと全国の方に食べていただきました。
季節感と楽しさを常に提供し続けたい
——「たまふゆゆ」シリーズも全国的に爆発的な人気を博していますね!
遠山さん:「あらかわスイーツコンテスト」の応募作品の中に、たまふゆゆのアイデアがありました。青は食べ物の色としてどうなのか、実現するのも難しそうに思えたのですが、「面白そうだな」というチャレンジ精神で具現化することにしたんです。その写真をTwitter(現X)にアップしたら、段々と話題になっていきました。
——カラフルなカラー展開も特徴ですよね!
遠山さん:「色のほかに中のムースやクリームを変えてみよう」と徐々に数を増やして、“5色のたまふゆゆを女性ヒーローアニメに模して並べた写真”をSNSにアップしたら、これまたバズって(笑)。
「この色も作ってください」と要望をいただくようになったんです。アイドルやアーティストを連想できる推し色として、今では9色を展開しています。全国から注文をいただける、当店の看板商品となりました。
——最後に、今後挑戦したいことを教えてください!
遠山さん:季節を感じられる商品の開発ですね。春先から阿賀野市の「御菓子処渡計」とコラボして、わらび餅入りの限定商品「わたけいふゆゆ」を販売しています。
久しぶりに和菓子と向き合って、“和菓子の持つ季節感の演出の良さ”に気が付きました。お店に来ていただく方を飽きさせないためにも、“季節感のある村上らしいスイーツ”を作っていきたいです!
【パティスリーマルヤ】
住所:村上市金屋2250
電話:0254-62-2117
営業時間:9:00~19:00
お店の情報は遠山さんのX:https://twitter.com/libido_maruya
私も「たまふゆゆ」を食べてみたいわ~村上の店舗まで行ってみましょう♪