プロフィール
スーパー・ササダンゴ・マシン:新潟市東区出身、本名 坂井良宏。 早稲田大学に進学後、プロレスに興味を持ちDDTプロレスリングのプロレスラーとして活躍。「煽りパワポ」が話題になり全国ネットのテレビ番組でもプレゼンを披露。NST新潟総合テレビ「八千代ライブ」ではMCを務めるなどテレビ番組にも出演。2020年6月に祖父が創業した金型メーカー・坂井精機株式会社の代表取締役社長に就任。
生粋の新潟市東区育ちが東京でプロレスと出会う
――スーパー・ササダンゴ・マシンさんの生い立ちについて教えてください。
スーパー・ササダンゴ・マシンさん(以下ササダンゴさん):生まれも育ちも新潟市東区で、工場や新潟空港、じゅんさい池を身近に感じながら過ごしていました。現在のじゅんさい池はしだれ桜とホタルの名所として有名ですが、私が幼い頃はカッパが出ることで有名な場所でした。僕のコスチュームは笹だんごの緑色だと思われていますが、実はカッパの緑色でもあります(笑)。
現在の「スーパー・ササダンゴ・マシン」というキャラクターは、新日本プロレスのスーパー・ストロング・マシンさんをオマージュした新潟在住のご当地レスラーとして始めました。のんびりと月一回、週末にプロレスが出来れば良いなというカジュアルな感覚で出来てしまった覆面レスラーです。今も定期的に出場している東京のDDTプロレスリングや全国放送のテレビ番組も、新潟で生活しているちょっと変わった覆面レスラーということで、僕に声を掛けてくれています。
――プロレス界に入ったきっかけはなんですか?
ササダンゴさん:大学ではシネマ研究会という映画サークルに入り、卒業後は映画やテレビの制作に関わる仕事がしたいと思っていたのですが、在学中に人生で初めてプロレスを見たことをきっかけに興味を持ち始めました。実際に生で試合を観戦するとますます面白さが分かるようになり、それを機にプロレスラーになる道を選びました。当時はDDTプロレスリングでプロレスラーと映像制作を兼任しながら活動していました。
――現在はどんな活動をされているのか教えてください。
ササダンゴさん:坂井精機株式会社の代表取締役社長、東京のDDTプロレスリング(2020年9月より、株式会社CyberFight)を主な活動拠点とするプロレスラー、そして松竹芸能の所属タレントとしても活動させて頂いています。スーパー・ササダンゴ・マシンの特技であるパワーポイントを使ったプレゼンテーションは様々な企業ともコラボしやすいので、松竹芸能はそういった面で厳格にマネジメントしてくれています。また、新潟ではマッスル坂井として八千代コースターなどの番組にも出演しています。
――スーパー・ササダンゴ・マシンとして活動することで会社(坂井精機)への影響や変化はありましたか?
ササダンゴさん:プロレスで培った経験や技術が金型作りに活かされることはまずありません。シナジー効果は色々な要素が組み合わさって相乗効果が発揮され、「忙しくて忙しくて仕方ない!」というイメージですが、今は期待せずに一つ一つの仕事に対して手を抜かずに一生懸命やることが大切だと思っています。世の中の常識が変わりつつあり、これまで続けてきたことを辞める判断と続ける判断、そして新しいことを始める判断を常に選択している状態です。この判断のサイクルはコロナ禍になってから更に速くなった気がします。
70歳過ぎの父親にとっても、ニューノーマルという考え方や、雇用調整助成金や一時帰休の仕組み、日々レギュレーションがかわっていく感染症対策などを一から理解して、陣頭指揮をとって経営していくのも正直大変だろうなあと思って、ちょっとタイミング的には早かったのですが、代表取締役を交代することにしました。
――今回のコロナ禍はスーパー・ササダンゴ・マシンさんにとって転換期だったのですね。
ササダンゴさん:コロナ禍以降はプロレスや芸能の仕事で東京に行けず新潟に長くとどまっていたこともあり、今がまさに会社を継いで新しいことを始めるチャンスでもあったと思いました。
金型作りもプロレスも職人気質で繊細に
――過去に一度引退したプロレス界に戻るきっかけはなんだったのですか?
ササダンゴさん:復帰のきっかけは周りの後押しです。2010年に引退してからは父の会社で職人として仕事をしていましたが、新潟で友人らと余暇にマスクをかぶってこっそりとプロレスをしていたら、それがSNSで拡散してしまい、所属していた東京の団体の人たちにバレて、新潟でやってるならまた東京でも試合に出てくれよっていう話になってしまいました。でも一度は引退しているので、「マッスル坂井」というそれまでやっていたリングネームではなく、新潟でその時やっていた「スーパー・ササダンゴ・マシン」というキャラクターのままリングに上がるようになりました。本当は1、2試合ゲストとして出るくらいの予定だったんですけど、いろいろな転機や大きなピンチがその団体に訪れて、そういった局面をまた一緒に乗り越えたりしてるうちに気づいたら二足、三足のわらじを履き続けることになってしまいました。
――その中でも多くの人を魅了しているのは凄いですね。
ササダンゴさん:僕はアドリブがビンビンに利く方でも、運動神経がものすごくいい方でもないのですが、テレビ番組の制作スタッフやプロレス団体のマッチメイカーが形にしたいものをしっかりと理解し、寸分の狂いもなく正確に立体化することは普通の人よりも得意だと思っています。人が「これを作りたい!」っていうものを形にするという点では金型作りもスーパー・ササダンゴ・マシンもその製造プロセスは同じです。
そういう意味では、僕は根っからの下請け体質であり、職人気質なのです。金型はお客様の要望があって初めて作ることができますし、プロレスやテレビ、ラジオもオファーがあって初めて仕事をすることができます。ものすごく自発的に動いているように見せかけてますけど、昔から人が敷いてくれたレールの上をひたすら走り続けているだけなのです(笑)。これはいい意味で東区らしいメンタリティだと思っています!
先の読めない展開が自分でも楽しみ
――スーパー・ササダンゴ・マシンとしての活動で印象に残るエピソードを教えてください。
ササダンゴさん:さいたまスーパーアリーナで桜庭和志さんとシングルマッチをやらせてもらったり、AbemaTVの大晦日の特番で朝青龍さんと相撲をとったり、『水曜日のダウンタウン』にプレゼンターとして呼んでもらったことは特に印象的です。そんなことが自分の身に起きるなんて想像していませんでした。とはいえ、また東京に戻り、プロレス・芸能に専念すればいいというわけではなく、覆面を被りながら地元の新潟で情報番組のMCをしている今の姿や、親の会社を継ぎながらプロレスを続けているといったことが、東京にいる人たちが自分に興味を持ってくれるきっかけになっているのは間違いないです。未だに不思議な感覚です。スーパー・ササダンゴ・マシンとして現在進行形で活動し続けていることは自分にとっても面白いですし、毎日想像ができないことが起きている。この先の展開は自分でも読めないです。
また、新潟に拠点において全国に届けるものを作り続けているという点では、新潟にはNegiccoというローカルアイドルの先駆けがいます。僕も新潟からの発信にこだわって活動しているので、彼女たちとそのスタッフ一同を心からリスペクトしています。簡単には真似出来ませんし、そこが彼女たちの強いブランド価値に繋がっていると思います。
――パワーポイントを使った「煽りパワポ」はどのようにして生まれたのですか?
ササダンゴさん:これは東京のメディアでは一切話したことはないのですが、パワーポイントというプレゼンテーションソフトを広く世に普及してほしいという某ソフトウエア会社とのタイアップ企画として始まりました。プロレスの試合前にその日の作戦や相手の分析などをプレゼンするのですが、スティーブ・ジョブスさんやTEDに登壇してくる人のような、おしゃれでかっこいいプレゼンではなく、ビジネスマンが普段の営業でやっているような日常使いの感じが表現できるようにいつも心がけています。ただ煽りパワポができるのはあくまで、某ソフトウエア会社との契約が残る数年間のみです。契約終了後に延長という可能性もありますが、現時点で先のことは考えていません。
・・・あ、ごめんなさい。真剣にメモを取ってもらって申し訳ないんですが、このくだり全部嘘です。
――今後、挑戦したいと考えていることはありますか?
ササダンゴさん:シャトレーゼのフランチャイズオーナーになりたいです。東区の空港通り店が8月に閉店してしまったのですが、シャトレーゼのアイスは毎日食べるほど好きで、東区には絶対に必要な食べ物だと思っています。出来れば松崎周辺で展開したいですね。牛丼チェーンの松屋も東区にはないので松屋のオーナーにもなりたいです(真顔で)
あとは地元である新潟市東区にコミュニティFM局ではない、完全に民間の地上波のFM局を作りたいです。どんな小さくてもビジネスとして成り立つようなFM局を立ち上げたいと割と本気で思っています。街のラジオ局として、勝手に弊社の金型工場の一角にスタジオを作りたいですね。放送局の名前は「FM EAST」です。ということで、引き続き応援よろしくお願いします!
【坂井精機株式会社】
住所:新潟市東区浜谷町2丁目2番45号
電話:025-274-4451
多岐にわたる行動力が凄いな~。今後の挑戦がどう立体化されるのか楽しみだ!