プロフィール
佐藤亜紀: 新潟県村上市出身。元FMPORTラジオパーソナリティ。楽器専門店の4人姉妹の長女として生まれ、音楽に囲まれる環境で育つ。座右の銘は“愛祭無限”と言うくらいお祭りが大好きで、幼いころから村上大祭の囃子に参加していたほど。ジャッキー・チェンの映画が大好きで様々なことにチェレンジし、メディアを通じて新潟の魅力を発信している。
村上市の楽器専門店に生まれ、音に囲まれる生活
――佐藤さんの生い立ちについて教えてください。
佐藤さん:村上市の楽器専門店の家に生まれました。お店ではピアノ教室もやっていたので生徒さんが弾いている音や色々な音が聴こえてくるそんな環境でしたね。4姉妹の長女だったので店番をしながら妹の面倒を見たり、お姉ちゃんをしていました(笑)。家が楽器屋さんだったこともあり、結構色々なジャンルの音楽を聴いていたと思います。その当時流行っていたJ-POPより洋楽とかが多かったですね。中学生の時はインドの楽曲を聴いたり、幼い頃から周りとは違うことに興味があったように感じます。ピアノでも、習う事とは別に、勝手に作曲したりしていましたね。
――作曲をされていたのはすごいですね…!色々な楽器を弾けるのですか?
佐藤さん: 作曲と言っても子どものレベルですよ(笑)。こんな曲があったら良いなというのを弾いて、母に聴いてもらったりしていました。それもあって、母は勝手にピアノの先生になるんじゃないかなと思っていたみたいです。ピアノもそうですが、気づいたらやっていたという感じです。ピアノの他には、小学生の時にソプラノアコーディオン、中学生の時は部活でアルトサックス、高校生になるとお琴と、少しずつ幅が広がり、その時にやりたいことを続けていましたね。
――SNSなどを拝見するとスノーボードをされたり、アクティブなイメージがありました。
佐藤さん:そうですね。音楽と別に運動もしていました。小学校の時にはスポーツ少年団でソフトテニスとかもやっていましたね。他にもそろばん教室とか小学校から高校まで毎日何かしらの習い事に行っていました。
お祭りが私を成長させてくれた
――幼いころから様々なことされてきているかと思いますが今に活きているものはありますか?
佐藤さん:やっぱり音楽でしょうか。ラジオ業界に入ってから、アーティストさんの司会やMCをさせていただいた時に自分の感想を挟んだりするのですが、自分が音楽をやっていた時の感覚があると感じます。例えば、佐渡で活動されている鼓童さんの特番をさせてもらった時、現地までお邪魔して取材させていただいたのですが、その時の音の響き1つ1つが心臓に響いてきたんです。お祭りでは鼓や鐘、あと篠笛もするので、和楽器の響きに関しても良い意味で自分の中で鳥肌が立つものがありました。
――お祭りとは、村上大祭ですか?
佐藤さん:そうです!村上大祭は親子三世代で楽しめるお祭りなので歴史も長いですし、町内の皆さんが自分を育ててくれたという感覚があるので私にとってお祭りの存在は大きいですね。人との付き合い方や上下関係はお祭りから学んだところが大きいです。私は姉妹の長女だったのですが、地域にはお兄ちゃんお姉ちゃんのような方がたくさんいました。お祭りの囃子には楽譜がないんですけどその先輩たちが教えてくれるんです。それが今でも受け継がれていて、途中からCD化はされましたが、未だに楽譜は無いです。人格形成という面では、お祭りの影響が大きいのかなと思いますね。“愛祭無限(あいさいむげん)”を座右の銘のようにしています。
――幼少期から色々なことにチャレンジされてたのですね。
佐藤さん:小さい時から活発だったというのは、家族や周りからも言われていますね。実は、ジャッキー・チェンにも影響されています。幼稚園の頃「プロジェクト・イーグル」という映画を見てから、ジャッキー・チェンにハマり、地元のレンタルショップにある出演映画を全部見ました。危険なことはしませんが、ジャッキー・チェンの何にでも向かっていく姿に影響され、怖いもの知らずな感じでチャレンジしていたみたいです。だから怪我もしていて、骨折をした時はさすがに親に呆れられていましたね。怪我をしてもジャッキー・チェンのNGシーンに比べると大したことないなと思っていました。
アナウンサーになるという夢を持ち、メディアの業界へ
――メディアの道に進まれたのはテレビ業界からのスタートなのですか?
佐藤さん: 18歳でテレビ業界に入りました。一番最初のきっかけは小学校5~6年生くらいの時にポンキッキーズという番組で地方ロケがあって、それに出させてもらった時です。それがアナウンサーの方と知り合うきっかけになって、それからアナウンサーの方とずっと文通をしていたんです。その方が退職するときには別のアナウンサーの方を紹介してくださって。紹介いただいた方ともずっと文通をして、ロケなども見せていただいたり、高校生くらいまでずっと続いていましたね。それで、小学校高学年の時にはアナウンサーになりたいなとずっと言っていました。
――元々はアナウンサーを目指していたのですね!
佐藤さん:そうなんです。テレビはレポーターのような感じでしたね。新潟の情報番組にレギュラーという形で出演したり、ロケに行ったり、コーナーも持たせていただいていました。ちょうど3年目くらいの時にFMPORTから「週末のレポーターを探しています」という話があり、受けてみませんかという話をされ、受けにいきました。受かった人が私含め2人だったのですが、それからFMPORTでした。
――テレビからラジオに転向されて、抵抗はなかったですか?
佐藤さん:学校でテレビとラジオの世界というのを学んでいたのでラジオをすることに抵抗はなかったです。テレビでの難しさ、ラジオでの難しさというのをそれぞれの現場で学ぶことができましたし、面白そうとかやってみたいという気持ちの方が強かったかもしれないですね。でも、実際はとても難しく、テレビだと映像が映りますが、ラジオだとそれがどんなものなのかを一言一言伝えなければいけないのでその難しさを感じていました。
――ラジオのパーソナリティをしていて良かったことはありますか?
佐藤さん:中継を聴いてくださっている間に近くだからと私に会いに来て下さるリスナーさんがいるのは嬉しいですね。イベントなどにも出演させていただいているのですが、タイミングが合わず今まで行けなかったという方もいらっしゃって。その時は「やっと会えた」と嬉しい気持ちを言ってくださいました。ロケや中継だと事前にどこに行くとか言わないんですよね。中継の現場には生中継後20分程しかいないのでその中継の10分を聞いて駆けつけてくれるんです。そこでお会いできたリスナーさんも結構いらっしゃいますね(嬉)。
メディアを通して新潟を元気に活性させられる存在になりたい
――佐藤さんといえば「Love Snow Paradise」の番組ですね!ウィンタースポーツはよくやられるのですか?
佐藤さん:リスナーさんからも山から出てきて中継に行ってるんですか、とよく言われます(笑)。実際に、多い時だと1シーズンで30数回は行っていますね。たまに取材と関係なく、自分の趣味として行くこともあります。最初は仕事でスノーボードを始めて、今シーズンで9年目になりますね。始めた時はスノーボードのスの字も知らなくて、そこから全部教え込んでいただき、技術検定を受けるまでになりました。私も初心者からスタートして今のレベルになれたので、同じように初めての方や始めるきっかけになれる存在になりたいと思っています。技術検定も上を目指して、いずれはインストラクターの資格を取得し、初心者の方に教えられるくらいになりたいですね。
スキー場に行くと親子で滑られている方が結構多くて、お子さんが親から教えてもらっている姿など、コミュニケーションを交わす場の一つとしてすごく貴重だなと感じます。それこそイベントをすると毎年来て下さるファミリーの方がいらっしゃって、その方は「年に1回ここでしか子供と孫に会えないんです」と話してくださってました。新潟にいるご両親と県外に出たお子さん家族が集まる場所に私の番組のイベントを選んで来てくださっていたんですよ。良い機会を作ってくれてありがとうと毎年参加してくださっていたので、とても嬉しかったですね。
――では最後に、今後挑戦したいことを教えてください!
佐藤さん:いずれインストラクターの資格が取れたら、皆さんにお返しできる形でレッスンやイベントを開催したいです。「Love Snow Paradise」という番組をやっていた時から番組の中で、参加者の方にワンポイントレッスンをしながら一緒に滑るなどそんなイベントが出来たら良いなという話をしていたんですよ。そこは番組の中で、変わらず実現したいと思っています。
また、村上大祭のインターネット生中継も2014年からやらせていただいているのですが、そうゆうところでも地元の魅力を皆さんに伝えられる存在でありたいですし、県内各地取材でお邪魔させていただいたので、村上市に限らず、ラジオやテレビなどメディアを通して新潟を元気に活性させられる存在になれたら嬉しいです。
〈内容〉冬をもっと楽しもう!雪をもっと楽しもう!聞けば冬がもっと楽しくなるプログラム!
スキー場リフト券プレゼントもあり。
〈日時〉12月20日(土)14:00~15:00 BSNラジオで放送予定
〈放送局〉BSNラジオ
「RIDE ON WINTER 2020」の放送楽しみだな~!今から予定に入れとかないとね!