現在Vol.10まで発行されている新潟のローカルインタビュー誌「Niigata Interview Magazine Life-mag.」。一人でスタートした経緯から取材での出会い、今後の特集テーマについて小林さんにお話をうかがいました。
プロフィール
小林 弘樹:東京の大学を卒業後は新潟に戻り就職、退社後2008年に「Niigata Interview Magazine Life-mag.」を創刊。取材、編集、デザインを一人で手掛け、2019年からは地元・西蒲区選出で新潟市議会議員も務めている。
ゼロからスタートしてたった一人で作った創刊号
――「Life-mag.」とはどのような雑誌ですか?
小林さん:2008年6月に創刊した新潟のローカルインタビュー誌です。Vol.1〜Vol.4は、自分で新潟の街を歩いて出会った多様な職種・業界の方々のインタビューが中心でしたが、Vol.5〜Vol.10では地域やテーマを決めてインタビューしています。
――「Life-mag.」を創刊したきっかけを教えてください。
小林さん:社会全体に対して閉塞感を覚えたことがきっかけです。広告主や流行に左右されず、街を歩いて実際に出会った面白い人達を自分の主観で伝えられるような媒体が新潟にあったら面白いのでは、と考えました。私が雑誌業界に詳しくなかったからこそ、思い立って行動できたということもあります。
――取材・編集・デザインを一人でされていて大変なことはありますか?
小林さん:写真や編集、デザインに関して何も知らない中で、会社の立ち上げも一人で行ったのは大変でしたね。2007年末に3年間勤めた会社を辞め、2008年1月に会社登記、6月に創刊号を発行したのですが、退社の翌月にパソコンやカメラを買うところからスタートしました。パソコンはAppleのMacを選びましたが、adobeの編集ソフト等が必要だということも買ってから知りました。初めはひとつひとつのアイコンの意味も分からず、誌面のレイアウトなど初期設定のままで作っていきました。
――営業も一人でされていたのですか?
小林さん:はい、書店への営業から納品まで自分で行いました。地方雑誌を流通させてくれる会社がなかったので、創刊号が完成した後に各書店のレジへ声をかけ雑誌を置いてもらえるようお願いしました。書店以外ではシネ・ウインドやギャラリー、飲食店も回りましたね。おかげさまで現在の取扱店は約100店舗となり、㈱エヌエスアイさんに取次をお願いしてからは蔦屋書店や一部コンビニでも取り扱ってもらっています。面白いと言ってくれる読者やスポンサーさん、取扱店さんも応援してくれているのがありがたいです。
地域ごとの特集では歴史や文化の良さも表現したい
――「Life-mag.」を創刊して良かったことはありますか?
小林さん:新潟県内の多くの方たちを取材し、色々な生き方があることを私自身が知ることができたことです。大きなメディアには取り上げられないけれど、様々な立場や職業の人がこんなに多くいるということを私なりに表現して読者に届けてきました。そこから反応があり、新しく人や地域を紹介してもらっていく中でご縁が繋がっていきました。創刊号を出すまでは本当に形になるのか不安もありましたが、一つ形にしたらやりたいことが明確になり、周りにも共感してくれる人が増えていきました。これは私の中で本当に財産となっています。
――これまでのインタビューや人との関わりを通じて感じた新潟の良さはありますか?
小林さん:土地ごとに独自の歴史文化や自然が残っているところです。地元の方にはその良さに気付いてもらい、今後も残していってほしいと思います。最初は私自身が気になる面白い人達をインタビューしていましたが、Vol.5からは佐渡、燕三条、巻や弥彦など地域の枠で特集しました。それ以降は、土地の歴史や文化、自然も含めて取材先を考えるようにもなりました。脈々と先人から受け継がれてきた歴史の上に現在の各地域が成り立っているのですが、そのような背景も表現するようになってからは読者の反応も更に良くなったと感じています。地元の人も知らなかった歴史文化や人物、その土地の良さを伝えるのが私の雑誌の役割であり、私自身の意識が深まった転換のきっかけにもなりました。
人とのつながりから決まるテーマ
――テーマはどうやって決めるのですか?
小林さん:その時々に自分の関心があることを選ぶ場合が多いです。その他、共同企画をすることもあります。“西蒲原の農家編”は私が地元の西蒲区に戻って暮らしはじめた後に、新潟市岩室観光施設「いわむろや」さんと協力して企画しました。“シネ・ウインド編”は北書店店主の佐藤雄一さんとシネ・ウインド創設者である齋藤正行さんと話す中で、「齋藤さんの話を中心にシネ・ウインドの歴史をまとめた本を作ったら面白そうだ」と感じたことがきっかけでした。
――前回は西蒲区の農家にスポットを当てていましたが、今後考えているテーマはありますか?
小林さん:実は現在、作成途中のテーマが2つあります。1つ目は取材もほとんど終わっている「山本五十六(やまもといそろく)の遠足編」です。山本五十六が中学生の時、夏休みに長岡駅から信越線を使って様々な場所を巡る1週間の旅行をしたという明治時代の手紙が残っていました。五十六少年が見た原風景を実際に私が歩いて取材した内容で、当時の集落の名前を調べ直して五十六が実際に泊まった家も尋ね回りました。この特集の取材中に市議会議員に当選したため、なかなか作業が進まず、完成にはまだまだ時間が足りない状況です。
2つ目のテーマは「粟島編」です。「五十六編」より先に取材をしていました。ここ2〜3年は離島や移住ブームということもあって粟島も注目され始めています。「Life-mag.」らしい視点で、粟島で培われてきた歴史や食文化について深く取材し、地元の方しか参加しないお祭りに参加したり、お墓参りにも同行させていただいたりしました。人口は300人ほどなのですが、一度島へ行くと2〜3泊はしていたので知り合いがたくさん増えましたね。
他にも、阿賀野川流域をひとつの文化圏として見立てて取材したり、弥彦山周辺に残る修験道の歴史を取材したりと、やってみたいテーマはまだたくさんあります。
取材や編集の経験を地域の暮らしに活かしたい
――2019年5月から新潟市議会議員を務められていますね。市議会議員に立候補したきっかけを教えてください。
小林さん:4年前に岩室へ戻って改めて地元を見直した時に、今まで編集者として培ってきた経験を市議会議員として活かせるのではないかと考えたことがきっかけです。私は10年以上新潟県内の多くの地域に入って取材し、様々な立場の人の話を聞いて読者に届けるという仕事をしてきました。市議会議員は、住民の困りごとや伝えたいことなど生の声を市役所に届けて代弁する、ある意味メディアのような役割としても捉えられるのではと考え、10年以上雑誌編集をしてきた次のステップとして地元に貢献する生き方に挑戦しました。地域の想いを議会に発言して伝えていきたいです。
――最後に伝えたいことはありますか?
小林さん:市議会議員の仕事を始めてからはなかなか時間が取れないのですが、「Life-mag.」の発行はこれからも続けていきたいです。ありがたいことに次号を期待してくれている方も多く、「Life-mag.」なりの新たな視点を提供し、新潟で暮らす人が自分の街を誇らしく面白いと思ってもらえるような雑誌を作っていきたいです。
「Life-mag.」素敵な雑誌ね~新潟にはいろんな人がいていろんな仕事をしている人がいることを再発見できておもしろいわ~!それにしても、退職して会社登記から雑誌の取材・編集・制作まで1人でやってしまうのはすごすぎるわ…次の発行が楽しみね♪