プロフィール
立川治秀さん(たちかわ はるひで): 新潟市江南区出身。高校卒業後は東京理科大学に進学。その後、実家である立川織物を継ぎ、現在6代目。亀田縞正規伝承人として亀田縞を復活させ、多くの方に愛される商品を作り続けている。
立川吟子さん(たちかわ ぎんこ):親の仕事柄、幼い頃から各地を転々としていた。高校生の時に新潟市に住み、治秀さんと出会う。高校卒業後は看護学校へ進学。看護師として働くが結婚を機に退職し、立川織物で治秀さんをサポートしている。
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家業を継ぐことは当たり前に考えていた
――お二人の生い立ちについて教えてください。
治秀さん:私は、ここ亀田の土地で生まれ育ちしました。
吟子さん:私は、親が転勤商売だったので各地を転々としていました。たまたま、高校に入る時に新潟市に来て、主人と同じ高校でした。
治秀さん:年齢は1つ違うのですが、私が中学生の時に結核になり1年10カ月ほど入院していたんです。退院後、高校に行くために1年留年して勉強し、高校に行きました。だから同級生なんです。
――高校の同級生だったのですね。卒業後は何をされていたのですか?
治秀さん:高校卒業後は、東京理科大学に進学しました。担任から「どうせ家業を継ぐなら、経営工学という学科に行ったらどうだ」と勧められ、周りのみんなも行くからと私も行きました。
吟子さん:私は親の仕事の関係で札幌にある看護学校に進学し、その後は看護師として働いていました。学生の頃、休みで帰ってくると同級会などで良く会っていたんです。いつの間にか、なんとなく結婚していました。
――お二人とも織物とは別のことをされていたのですね。治秀さんは元々家を継ぐ気持ちはあったのですか?
治秀さん:家を継ぐというよりはそれが当たり前のような感覚でしたね。だから、強い意志を持って家を継ぐという想いはなかったです。当然、工場に入ると思っていましたね。
「何かを残したい…」その想いで復活させた亀田縞
――立川織物の歴史は古いですよね。
治秀さん:そうですね。私で6代目になるのですが、創業は明治17年となかなか古いです。機屋を始めたのは、2代目の時に始めたみたいです。昔のことを調べようと役場に聞きに行ったのですが、資料が無いと言われ、はっきりとした歴史は分かりません(笑)。
――資料がないんですね(笑)。亀田縞は当時から作られていたのですか?
治秀さん:私の父親は知らないと言っていました。戦争から帰ってきた時には、亀田縞はなくなっていたんですよね。ポリエステルや綿、麻、レーヨンなど普通の洋服生地が主流となっていたそうです。だから、亀田縞という言葉は知っていても、生地は知らないと言っていました。しかも、戦争の頃は糸がなかったんですよね。
吟子さん:糸はないですし、織機は鉄なので回収されていました。
治秀さん:糸も織機も無くなり、機屋としてはもうやっていけなかったわけです。昔は至る所に機屋があったのですが、他の業種に転換したり、そのままやめた機屋もたくさんあります。今残っているのは、うちと中営機業さんの2社だけです。
――亀田縞を復活させようと始めたきっかけは何だったのでしょうか?
治秀さん:機屋が2社になった時、「うちもいずれは倒産するのかな…」という話から、「じゃあ潰れる前に何か残したいね」という話になり、昔あった亀田縞を復活させようと始めました。亀田縞というブランドを何とか上手くできたら、それにすがりつけるかなという想いもありました。
――復活させるにあたり、作り方などはどうされたのですか?
治秀さん:郷土資料館に縞見本帳という本が2冊残っていたんです。その本に小さな生地が載っていて、その生地から糸や組織、密度を調べ、できるだけ昔の形状に寄せて復活させました。
――復活させるまでの過程は大変だったのではないでしょうか…。
治秀さん:大変でしたね。糸や密度、組織を見るのは大変でしたが、それさえ分かってしまえば、昔より今の技術の方が圧倒的に上なので、織ることに関しては大したことはありませんでした。見つけるまでが苦労しましたね。
――その苦労を経て完成されたのが現在の亀田縞なのですね。
治秀さん:そうです。完成後、お客さんから「紺色ではない、白っぽい生地はないの?」という要望がありました。改めて、文献を調べると、紺縞と白縞というのがあることが分かったんです。それから白の亀田縞も完成しました。そうすると、今度は「薄い生地はないの?」と、どんどん要望がきて、薄い生地や無地の生地を作ったり、お客さんの要望からどんどん新しいものが生まれました。
本当に好きで何度も同じものを購入してくれるのが嬉しい
――お客さんは亀田縞を目的に来られる方が多いのですか?
治秀さん:そうですね。なかなか分かりにくい場所にあるので購入を目的に来られる方がほとんどです。大体の方が「ようやく辿り着いた」と言って来てくださいます(笑)。
吟子さん:複雑な場所にあるので「途中で諦めました…」なんて言われたこともあります(笑)。だから、亀田縞の看板を見つけたから寄ってみようなんて人はいないですね。
――亀田縞の魅力やこだわりを教えてください!
治秀さん:あまりこだわりはなかったのですが、お客さんは「生地が柔らかくて縫いやすい」とよく言ってくださいます。
吟子さん:「亀田縞は暖かいし、薄地のものは涼しい」と言ってくださる方も多いですね。秋冬は少し厚手のもの、春夏は少し薄手のものと季節によって楽しめるのも魅力です。
――お客さんとの印象に残るエピソードを教えてください。
吟子さん:うちの商品をとても気に入り、だめになるまで着てくださって、同じものをまた作って欲しいと言われた時はとても嬉しかったですね。「こればっかり着てるんですよ」と家族の方が言ってくださるんです。
治秀さん:同じものをずっと使ってくださるのはとてもありがたいですね。本当に気に入らないと同じものはなかなか買わないですからね。
普段着として亀田縞を楽しんでほしい
――お客さんは何を購入されることが多いですか?
吟子さん:最近は生地を購入される方が多いです。新型コロナウイルスの影響で家にいることが増え、自分で何か作ってみようと購入されます。特にマスク用の生地を購入し、色々な柄のマスクを作って楽しんだり、友達にプレゼントされている方をよく見ますね。
治秀さん:この前は、子供用のパンツを作った方もいたよね。マスク用の生地2種類を簡単に縫うだけでできるんです。亀田縞のパンツなんてお洒落ですし、普段の洗濯と同じように洗えるので良いですよね。
吟子さん:楽しんで作ることができれば何でも良いと思います。自分で作った満足感も出ますし、簡単な縫い方でも作れます。お洒落着としてではなく、普段着として亀田縞を着て欲しいですね。普通の洋服と同じようにじゃぶじゃぶ洗って、干しても大丈夫です。
――普通の服と同じように洗っても大丈夫なんですね。
吟子さん:そうなんです。心配であれば最初の1~2回別で洗えば問題ないと思います。ほとんど色落ちはしないので、私なんかは全て投げ込んで洗っています(笑)。
――亀田縞だからといって気遣いせずに日常使いができますね!
治秀さん:それが理想です。普通、毎年同じ服を着ていると、「去年も着ていたよね」と言われて気にしますよね。でも、「亀田縞だから」と言えば、亀田縞ブランドとしての納得感もあると思います。生地も丈夫なので、何年も着続けられます。ただ、あまり丈夫なものを作ると次が売れないという悩みもあります(笑)。
吟子さん:ガタ市(※1)でも販売しているマスクは洗っても生地自体が伸びたり急激に縮んだりすることはないです。むしろ洗うことで顔にフィットすると思います。マスクは3枚重ねで作っているので、しっかり守れると思いますし、ゴムが伸びたらゴムだけ付け替えれば繰り返し使えますよ。
※1.ガタ市…通販サイト(https://gataichi.com/)
亀田縞を新潟、日本、世界へ発信していきたい
――立川織物の亀田縞商品をどんな方に手に取ってもらいたいですか?
治秀さん:みんなに手に取ってもらいたいね。
吟子さん:そうですね。とりあえず、ガタ市でマスクの色や柄、触った感じなどを分かってもらえれば良いかなと思います。そこから亀田縞に興味を持ってもらい、好きになってくれると良いですね。これから暑い季節になるので、夏用のマスク・ハンカチも用意しようと考えています。ストールも無地の夏バージョンとして販売しようかなと検討中です。ストールは洗った後、思い切り伸ばすとふんわり感が戻るので購入した方は試してみてください。
治秀さん:ストールは、ニットのように編むように織っているので伸びるんです。伸ばすことで空気が入り、ふんわり感が戻ります。干す前にやってみてください。伸ばしても切れないので心配しないでくださいね。
――最後に、今後挑戦したいことを教えてください!
治秀さん:もう歳なので挑戦したいことはないですかね(笑)。強いて言えば、ストールを海外に向けて販売できたら良いな…なんて思っています。
吟子さん:まだまだ知らない方も多いので、まずは立川織物の亀田縞を知ってもらえたら良いなと思います。県内、日本全国、それで海外へと販売できたら良いですね。
【立川織物】
住所:新潟市江南区袋津3丁目1番52号
電話番号:025-381-3067
営業日時:平日9:00〜17:00
定休日:土曜・日曜・祝祭日
亀田縞の魅力が伝わってくるわ~私もマスクを早速注文してみましょう♪