
【プロフィール】
坂田 浩(さかた ひろし): 新潟市出身。新潟あっさりラーメンの老舗「三吉屋」の三男として育つ。長兄の信濃町店、次兄の西堀本店で修業の後、2005年に駅南けやき通り店をオープン。「ミシュランガイド新潟2020」でミシュランプレートに選ばれる。
『新潟人264人目は、「三吉屋 駅南けやき通り店」の店主・坂田浩さん。新潟ラーメンの老舗として愛され続ける三吉屋。お店の味を守りながら、お客様一人ひとりに寄り添った心遣いで多くのファンを魅了しています。その信念やこれまでの歩み、そして今後の展望についてお話を伺いました!笑顔でご対応いただき、ありがとうございました♪』
西堀に刻む、家族とラーメンの歴史
──「三吉屋」はお父様が始められたお店なのですね!
坂田さん:私が物心ついた頃から営業していました。今の西堀本店の場所に移転したのが昭和39年です。私は当時4歳で、父のスクーターに乗せられて保育園へ行き、保育園が終わると西堀のお店へ帰る毎日でした。
毎日忙しそうに働く父の背中を見て育ちました。それが当たり前で、寂しいと思ったことはなかったですね。
──「三吉屋」の歴史を教えてください。
坂田さん:両親は、中国・満州から戦後に引き揚げてきました。父は手先が器用だったこともあり、靴やカバンの修理で生計を立てていたそうですが、あるときにラーメン屋を始めることになったんです。
当時は西堀通りにお堀があった時代で、堀沿いに小屋がズラッと並んでいたんですよ。その一角でラーメン屋を開業しました。

──お父様の姿を見て、自分もラーメン屋になりたいと思ったのですか?
坂田さん:そんなことを考えたことはありませんでした。父からは「サラリーマンの方がいいぞ」と言われていたので、新潟工業短大を卒業した後、自動車整備士になりました。
しかし、自動車整備の仕事を続けることに疑問を持ち、母親に「俺、東京行くわ」と給料袋ひとつ持って上京しました。
──東京に行くきっかけがあったのですか?
坂田さん:もっと広い世界を見たくなったんですよね。東京の友人宅に居候しながら会社勤めをして、お金を貯めてから中目黒のアパートに引っ越しました。
妻とはその頃に出会い、5年くらい東京にいましたね。そのうちに、「父の仕事を継ぎたい」という気持ちが湧いてきて、妻と一緒に新潟へ戻りました。

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気づけば三人ともラーメン屋に
──新潟に戻ってからはお父様の手伝いを?
坂田さん:当時は信濃町に一番上の兄が店を構えていて、西堀本店と信濃町の店を掛け持ちで手伝っていました。ただ、それまでラーメン屋の仕事を手伝ったことは一度もありませんでしたね。
──お父様から「継いでくれ」と言われたわけではないのですね。
坂田さん:それは一切なかったですね。兄2人が先に手伝っていたので、「一人ぐらいサラリーマンがいてもいいんじゃない?」と言われていました。でも、結局3人ともラーメン屋になりましたね(笑)。
──「お父様の背中」を見てきたからですか?
坂田さん:そうなんでしょうね。当時から「三吉屋」の名前は親しまれていたので、「父はすごい人だったんだな」と思います。
私もラーメン屋の仕事をするようになって、“守るべき店”だと再認識しました。

店主が大切にする“満足感”と対話
──3世代で利用されているお客様も多いですよね!
坂田さん:そうですね。彼女を連れてきていた人が結婚して子供ができ、その子供が成長してまた店に来てくれる。
三吉屋のラーメンは、そういうお客様にとって母親の味噌汁のような“ソウルフード”なんだと思います。
──「この味を守らなければ」と感じるわけですね。
坂田さん:味を変えてはいけないラーメンですし、守り続けることが使命だと考えています。長年続けていると、お客様の中には「変わらないね」と言ってくれる方も多く、それが本当にありがたいですね。

──長年愛される秘訣はどんなところですか?
坂田さん:今の時代、店主がワンオペでラーメンを提供する店は少なくなっていると思います。一人でやるからこそ、お客様の顔を見て臨機応変に対応できます。
例えば、ご年配のお客様には麺を少し柔らかめにしたり、スープをやや軽めにしたり…。また、女性のお客様が餃子も注文された場合には、ラーメンをほんの少し軽めにすることで、完食して満足して帰っていただけるよう工夫しています。
──お客様の満足感に対して、どのようなこだわりを持っていますか?
坂田さん:味以外に何がプラスアルファになるかというと、“満足感”だと思います。ラーメンの味や盛り付けの美しさ、店員の対応の良さなど、一つひとつの要素を積み上げていくことで、「ああ美味しかった、また来よう」と思ってもらえる店を目指しています。
「美味しかったです」「ありがとうございました」と言ってもらえることほど、嬉しいことはないですね。
──坂田さんのお人柄がお店の雰囲気にも表れていますね!
坂田さん:特に今の若い子たちは、コミュニケーションが苦手な傾向にあるように感じます。
注文しづらそうにしている時には、こちらから「何にする?」と声を掛けるようにしています。そうしてコミュニケーションを取ると、必ず次も来てくださるんです。

苦労と工夫の20年
──今年で20周年ですが、この場所で商売を続ける上での苦労はありましたか?
坂田さん:昔は、古町も賑わっていましたが、今は古町に人が行かなくなり、駅周辺で事足りるようになっていますよね。店の大きさや立地の面でもいい場所に店を出せたと感じますが、最初は苦労しましたよ。
──そうなのですか!?
坂田さん:けやき通りも店が少なかったですし、「三吉屋」という名前だけで人を呼べるかと思っていましたが、もともと人がいない所に人は来ません。その厳しさを痛感しましたね。
──安定した経営にどのように繋げたのですか?
坂田さん:苦しい中で原点に立ち返り、看板を「ラーメン」から「中華そば」に替えたり、営業時間も夜遅くまで延ばしてみました。飲んだ帰りにラーメンを食べに来る流れを作るよう意識したんです。初心にかえって一つひとつを積み重ねた結果、今日まで続けることができました。
味はもちろんですが、立地条件や周辺環境が揃わなければ商売は続きません。時代に合わせて変化する一方で、昔から変わらないものを大切にする。そのバランスの難しさを痛感しています。

一つひとつを真面目に
──ラーメン作りでこだわっていることは何ですか?
坂田さん:材料は長年変わっていませんが、その一つひとつの質にはこだわっています。そして、“丁寧に作る”ということですね。
例えば、生姜は必ずおろし金で擦る、冷やし中華のきゅうりは包丁で切るなど、こうした小さな作業が味を左右するんです。“一つひとつを真面目に作ること”が、お客様の満足感に繋がると信じています。
──駅南けやき通り店限定メニュー「もやしそば」の開発エピソードを教えてください!
坂田さん:信濃町の長兄の店にはビールや餃子、タンメンがありました。オープンする際、「中華そば」と「チャーシュー麺」、「餃子」以外にもう1品加えたいと考え、生まれたのが「もやしそば」でした。
ボイルしたもやしではなく、“炒めたもやし”をのせるスタイルが評判になり、一度食べるとハマる方が多いですね。

“守る”という責任、“終える”という選択
──看板に対するプレッシャーはありますか?
坂田さん:当店をオープンする前に西堀本店と信濃町で修業していましたが、それぞれに根強いファンがいることを実感しました。だから、この店を開く時は物凄いプレッシャーでしたね。
──今でもプレッシャーを感じますか?
坂田さん:プレッシャーはありますが、「いつ来ても変わらない味だね」と言われることが最高の誉め言葉です。少しでも変わると、お客様はすぐ分かってしまいますからね(笑)。
──最後に、今後の目標を教えてください!
坂田さん:45歳で店を始めて20年が経ちました。父は息子たちに囲まれながら、生涯現役で90歳まで働いていましたが、「自分はどこまでやれるのか」を考えることも増えましたね。
「修業させてほしい」と言ってくる若い方もいます。作り方は教えられても、「三吉屋」として営業を続けるのは難しいと思うんです。自分の代で終わるのも良いかなと考えていますが、“少しでも長く続けられるように”健康に気を付けていきたいですね。

【三吉屋 駅南けやき通り店】
住所:新潟市中央区米山1丁目6-10
電話:025-241-0937
営業時間:11:00~13:30(L.O.)、17:30~20:00(L.O.) ※昼夜ともにスープが無くなり次第終了
定休日:月・火曜日
駐車場:近隣のコインパーキング(駐車証明書の提示で100円キャッシュバック ※1,500円以上飲食の場合のみ)
公式Instagram


これからも長く続いてほしいわね♪