プロフィール
古関 悠(こせき ゆう):佐渡市生まれ、新潟市育ち。大学卒業後、新潟県内の放送局に入社し、営業やフリーペーパーの企画制作に携わる。25歳で退社し、料理の道へ。東京の店で基本を学び、イタリア料理を学ぶためにイタリアで1年間修業する。帰国後の2017年12月にけやき通りに「LA CUCINA LIBERA」をオープンする。
ガタチラスタッフ:『新潟人95人目はけやき通り沿いにある「 LA CUCINA LIBERA」オーナーシェフの古関さん。前職は放送局!?と意外な経歴を持つ古関さん。“お客様が喜ぶ顔を見たい”と料理の道へ転身されたシェフの素顔に迫ります。素敵な笑顔で取材に応じてくれた古関さん、ありがとうございました!』
放送局から料理の道へ転身!
──古関さんの生い立ちを教えてください。
古関さん:両親が佐渡出身だったので、生まれは佐渡です。その後、父が転勤族だったので、東京→新井(妙高市)→直江津(上越市)→新潟市と移り住み、小学生から新潟市で過ごしています。高校卒業後は、野球を続けたくて埼玉の大学に進学しました。
──野球はプロを目指していたのですか?
古関さん:そんなレベルではないです(笑)。プレイする側より伝える側に興味を持つようになり、マスコミ関係の就職を目指しました。新聞社やテレビ、ラジオ、雑誌などの就職試験を受け、新潟県内の放送局に入社しました。ラジオとフリーペーパーの広告営業や企画・編集・取材などをしていて、26歳の時に料理の道にいこうと転職したんです。
──なぜ、突然料理の道へ転向されたのですか?
古関さん:文章を書いても読者のリアクションが分からず、達成感を感じられませんでした。それより、ダイレクトにお客様が喜ぶ顔を見たいと思ったんです。それと、前職で色々な方と出会う中で、手に職をつけたいと考え、料理の道に決めました。それまでは料理を全くしなかったんですけどね(笑)。
──イタリア料理はどのように学んだのですか?
古関さん:最初は東京のレストランで包丁の握り方や切り方などの基礎を学び、新潟に戻ってからは、古町のお店で3年間働きました。その後、県外のお店を転々としてから、30歳の時に本場の味を学ぼうとイタリアで修業をしました。
──イタリアでの修行に不安はなかったですか?
古関さん:行きたい気持ちの方が強かったですね。イタリアへ行く前の1年間は、小豆島、軽井沢、佐渡、越後湯沢、東京などで1カ月ずつ住み込みで働かせてもらいました。言葉が通じない国へ行くことになるので、それに対応する心と体を作るために、あえて知らない土地で働いていました。
暮らして分かるイタリアのこと
──イタリア語の勉強もされていたんですか?
古関さん:イタリアへ旅立つ3ヵ月前はビザの取得などの準備で東京にいて、その間はイタリア語教室に通っていました。イタリアへ行ってからも初めの2ヵ月は、午前はイタリア語、午後は料理の勉強をしていました。調理師学生のインターンとして働いていたので無給です。その内にお金が続かなくなり、1年でイタリアから帰ってきました(笑)。お金があれば誰でもイタリアへ行けますが、“大事なことはどう過ごすか”だと感じましたね。もっとイタリア語が話せたら、現地で有給の仕事もできたと思いますが、そこまでには至りませんでした。
──イタリアへ行ってから意識の変化はありましたか?
古関さん:とても変わりましたね。行ってよかったと思いますし、行けるならもう一度行きたいです(笑)。日本に戻ってからは、東京で働くか悩んだのですが、新潟にいる知人から「新潟でお店やりなよ」と言われ、3ヵ月後の2017年12月に「LA CUCINA LIBERA(ラ クチーナ リベラ)」をオープンしました。
──すごいスピードですね(笑)店名の由来を教えてください!
古関さん:「CUCINA LIBERA(クチーナリベラ)」で、「自由なキッチン」という意味です。イタリアではよく「日本人は頭が固い」と言われていたので、「もっと自由に・柔軟に考えよう」という想いと、「イタリアで感じた異文化を新潟で発信したい」という想いを込めています。イタリアに行く前は海外に興味がなかったのですが、実際に行くと文化の違いが面白かったですね。日本人が毎日お米を食べているように、イタリア人は毎日パスタを食べています。昼からワインを飲む現地の人にワインを勧められて断ると、「日本人は食事と一緒に何を飲んでいるんだ?」と言われて、「お茶」と答えると爆笑されました(笑)。日本にいたら考えられないことばかりで、とても刺激を受けましたね。
──実際に行くか行かないかで大きな差ですね。
古関さん:旅行だけでは分からないことがたくさんあると思います。ある時、食品会社から「カレー粉でイタリア料理を作って欲しい」という依頼がありました。他のシェフは「イタリアではカレーを食べない」と言っていたそうですが、実際はクリスマスに魚介のカレーリゾットを食べるんです。私もイタリアに行って初めて知りました。そのメニューを企画で出したら、驚かれましたね。実際にイタリアで生活しなければ、このメニューも提案できなかったと思います。
古町に“新潟を感じる”和食店をオープン
──お店の特長を教えてください!
古関さん:伝統的なイタリア料理を提供しています。見た目はシンプルですが、食べると懐かしさを感じる、ホッとするマンマの味を大切にしています。イタリアへ行った時に食べた料理の中で、「豆と野菜のスープ」が一番印象に残っていて、日本人にとってのみそ汁のような料理なんです。そんなイタリアの家庭料理を、新潟の食材で表現しています。
──食材は新潟県産にこだわっているんですね。
古関さん:「イタリアにはイタリア料理がない」と言われるほど、イタリアは州によって料理が異なり、その土地の食材でその土地の文化の料理を作るという感じです。それを新潟に置き換えれば、新潟の食材で、新潟のイタリア料理が作れると思いました。「LA CUCINA LIBERA」ではイタリアを感じてもらおうとオープンしましたが、2022年2月に、新潟を感じてもらおうと居酒屋「魚と地酒とワイン りべら」を古町にオープンしました。
──なぜ古町を選んだのですか?
古関さん:新店の場所が、以前働いていたお店の近くなんです。古町の人たちは温かい人ばかりで「LA CUCINA LIBERA」をオープンした時も、古町の皆さんが来てくれて「頑張ってね」と励ましてくれました。そんな思い入れのある古町でやりたいと思いました。「魚と地酒とワイン りべら」では、食材はもちろん、食器やお猪口も新潟産にこだわっているので、新潟を感じてもらいたいです。
──スタッフやお客様との印象的なエピソードを教えてください!
古関さん:来店されたお客様が、 Instagramに「豆と野菜のスープ」の写真を「イタリア人はこういうものを食べているんだ、イタリア人の気持ちになれた」というコメントをつけて投稿していたのを見て、こちらの意図が伝わったと嬉しくなりました。オープン当初には、年配のご夫婦が帰り際に、「新婚旅行がイタリアで、その時の気持ちを思い出しました」と言ってくださったのも心に残っています。
──最後に、今後挑戦したいことを教えてください!
古関さん:コロナ禍になり、飲食店の経営が難しくなっています。しかし、この道を選んだからには、たまに出た外食で当店を選んでもらい、「行ってよかったな」と思ってもらえるような料理やお店づくりをしていきたいです。目先のことを一生懸命やっていれば、道は開けていくと信じて続けていきます!
【LA CUCINA LIBERA】
住所:新潟市中央区米山2丁目2-5
電話:025-369-4876
Instagram:https://www.instagram.com/lacucinalibera/
まさかの転身にびっくりだわ笑本場のイタリア料理を堪能しに行きましょう♪