プロフィール
田中辰幸:新潟県燕市(旧吉田町)出身。高校まで吉田町で過ごし、京都市内の大学へ進学。母が遺した美容室を引き継ぐために大学卒業後に新潟に戻る。2012年には美容室「パリスラヴィサント」の軒先に「ツバメコーヒー」をオープンし、複合店舗として運営している。
突然、美容室のオーナーに
――田中さんの経歴や生い立ちについて教えてください。
田中さん:吉田町、現燕市で生まれ育ちました。新潟市内の高校に通い、大学時代は新潟を離れ、京都市内の大学に進学しました。卒業後すぐに新潟に戻ってきているので、地元にいる時間はかなり長いのかなと思います。
――そのまま京都府で就職しようなどのお考えはあったのですか?
田中さん:京都は自然と街とのバランスがとても取れている都市で離れることはとても残念でした。とはいえ、母は物心つくころから美容室をやっていて、「生まれ変わっても美容師になる」と言うほど美容師の仕事に一生懸命でした。1997年に母のお店である「パリ美容室」が現在の場所に移転拡張することになり、庭を見ながらお客様にゆっくりとくつろでほしいという母自身の夢が叶った場所でもありました。しかし、翌年の春にがんが見つかり、闘病生活に入りました。その2年後に母は亡くなることになり、私は就職することなく地元に戻り、お店を引き継ぐ選択をしました。
――お母様の大切な場所を守るために戻ったということでしょうか。
田中さん:そうですね。片親で一人っ子だったこともあり、会社を引き継ぐのは私しかいませんでした。当時大学生だったのですが、母がこの先長くはないということが分かり、引き継ぎの準備として大学を1年休学し、新潟市内にある美容学校に通いました。学生だったのですぐに働くことは出来ませんでしたが、書面上では私が後継者になることが決まりました。そして大学卒業後、どこにも就職することなくお店で働くことになりました。
自分の好きなことでこの場所に貢献したい
――元々、美容師になろうというお考えはあったのですか?
田中さん:全くなかったです。親の背中を見て同じ職業を選ぶ人も少なくないですが、私はそうは思いませんでした。ただ、母は美容師をやっていたと同時に、自分が好きなことをやっていました。だからこそ、中卒で美容師を目指した母はたくさんのお客様に必要とされていたのだと思います。私は美容師免許を取得したものの、美容師になることなく美容室を経営者として運営していくつもりでした。「好きなことをやる」というよりもむしろ「必要とされていることをやる」という気持ちでやっていました。
――そこから美容について学んだのですね。
田中さん:美容学校を出て、美容師資格を取得しただけでは、お客様に満足していただける施術が出来るわけではありません。2002年当時、お店には10人以上のスタッフがいたので私は美容師を目指すことなく、会社全体が必要とする経理などのサポートをしていました。でも、スタッフの独立などによる退社によって人数が減り、美容室として立ちゆかなくなっていったために自分が美容師として働いていく必要に迫られました。それからカットなどスタイリストになるための練習をしたのですが、本当に出来なくて、死ぬ気でやることさえもできませんでした。これはただの甘えではないか、と自分を責め続ける日々で、結局新潟に戻ってから10年間くらいは悶々としていましたね。貢献したいけど出来ない。美容師になることすらできない。じゃあ私はここで何をしていけばよいのだろうか、と。
――そこで考えた結果、カフェをすることになったのですね。
田中さん:そうです。以前から、とりあえず飲み物を出せばいい、というのは嫌で、注文があってから豆を挽いて自分たちがおいしいと思えるコーヒーを提供していました。そんな「おもてなし」を大切にするお店でした。私は、美容師としての貢献ができないとはいえ、まず美容室に来てくれる人に喜んでいただいて、さらに美容室に来ていない方にも喜んでいただけるものはないだろうか、と考えました。その結果が「カフェ」だったのです。美容室には限られた方が繰り返し来店される場所としてありますが、カフェは誰もがふらりと足を運べる場所です。そうなれば、地域そのものにもっと貢献できるかもしれないと思いました。
――カフェについては、修行などをされたのですか?
田中さん:独学というと聞こえは良いですが、どこかで修行することは全くありませんでした。もちろん、経験もなくカフェを始めることには周囲から多くの反対がありました。成功する保証はどこにもないので当然のことです。私は考えてばかりいて、実行力がない人間でした。なぜなら考えるということが得意なことは、失敗するリスクをただ挙げていくことだけであって、未知のことへの挑戦を後押ししてくれることはないからです。一歩足を踏み出すということは、ある意味考えないことを必要としています。僕にとっては「えいやっ」と300万円ほどする焙煎機を買うということが、そのきっかけになりました。焙煎機を買えば、考えてばかりいる暇などなく、焙煎機と向き合わざるを得ません。それがひとつの転機となりました。
お客様のことを考え、工夫されたカフェ
――どんなカフェにしたいというお考えはありましたか?
田中さん:最初から地域のニーズに応えることばかり考えてしまうと、どこにでもあるようなカフェになってしまいます。どこにでもあるようなお店は絶対にチェーン店に敵うことはありません。カフェはお金儲けが不得意である一方、色々な人が来るので、人と人を結びつけることが得意だと思っています。つまり、小さなメディアのような機能があるんです。美容室はどうしても新しいお客さんを必要とする業種なので、タウン誌や折込チラシなどで広告を出しているのをよく見かけるかと思いますが、美容室とカフェの複合店舗になることによって、カフェが美容室を知ってもらうきっかけにもなるような構造を作りたいと思っていました。
――カフェと美容室が併設しているのは面白いですよね。
田中さん:かつてからおいしいコーヒーを美容室のお客様に提供していましたが、併設されているカフェで500円するコーヒーが無料で出してもらえることはかなりお得に思っていただけるのではないでしょうか?美容室は髪を切る場所、というだけではなく、髪を切りながらカフェにも行った気分になれる場所、となれば、他店との違いをお客様に実感していただきやすいですよね。
――美容室とカフェの間には、ショップもあるんですね。
田中さん:今は基本2人ですが、オープン当初は私一人でやっていたので1人で会計してコーヒーを淹れて、淹れているときに呼ばれて、でも聞けない時もあるし、お客様が並んでいるとコーヒーを淹れているとき、どうしても待たせてしまうんですよね。だから待ち時間そのものをゼロにすることはできなくても、体感時間がどうしたら短くなるかを考えた結論が「お買い物」でした。それでカフェと美容室の分岐点にショップを作り、お待たせしている間、そこを眺めてもらえるようにしています。私自身、本が好きなので本を置いておけば、みんな読んでくれるかなと思っていましたが、残念ながら全然読んでくれないんですよね(笑)
――いかに一人で切り盛りできるか、お客様を満足させられるかということが考えられているのですね。
田中さん:2012年のオープン当初からテイクアウトカップですべてのドリンク提供をしているのですが、それは1人だとなかなか洗い物が出来ないというところからなんです。もちろんカップにはそれなりに費用が掛かりますが、例えばカップを持って公園や町を歩いてもらうと、それによってツバメコーヒーを知ってもらうきっかけにもなりますからね。また、席数に限らず持ち帰ることができるので、席が空いてないならテイクアウトでいいかな、という選択肢が生まれます。1人でやっている弱みをどうやって強みにできるのか、ということばかり考えていたような気がします。
燕市が好きな理由の5つに「ツバメコーヒーがあること」が入ること
――ツバメコーヒーはかわいらしいロゴが特徴ですよね!
田中さん:焙煎はオープンして営業しながら学んでいくつもりだったので、すぐに長く続けているコーヒーショップのような味にはならないと考えていました。とはいえお店を知ってもらって来てもらって利用してもらう必要があったので、まずはツバメコーヒーのイメージを作って行こうと考えました。田んぼの前にあるようなお店でしたので、コーヒーにありがちなかっこいいロゴというよりも、かわいいロゴを、と思っていました。そこで上越市出身でもあり、Eテレの「みいつけた!」のコッシーのデザインでも有名なイラストレーターの大塚いちおさんに依頼しました。
――なぜツバメコーヒーという名前にされたのですか?
田中さん:2006年に美容室の名前を「パリ美容室」から「美容室パリスラヴィサント」に変えたんですよね。「ラヴィサント」はフランス語で「うっとりする」という意味で、美容室に来られた方にうっとりしてほしいという思いが込められていて。ただ、名前は人に覚えられてなんぼですし、それによってお客様のものになるのではないかという気がするんですよね。だから覚えやすいとは決して言えない名前にしてしまったことをとても反省しています。それを踏まえて、「燕市にあるからツバメコーヒー」という、思い入れというよりも、なんのひねりもないそのままの名前で始めました。
――お客様との印象に残るエピソードなどはありますか?
田中さん: カフェは様々な人が通り過ぎていく場所です。ツバメコーヒーによって初めて出会えた方がたくさんいるのはとても嬉しいことですね。それはお客様に限ったことではなく、商売をやっている方の知り合いが増えたというのも私にとっては嬉しいことです。美容師だと、どうしても美容関係者だけになってしまいますが、カフェだとカフェに関わりうる色々な繋がりが連鎖しています。なかなか大人になってから友達が増える機会はないので、開かれたカフェならではの魅力だと思っています。
――では最後に、今後挑戦したいことはありますか?
田中さん:基本的に夢とかないのですが、この町に住む人たちに燕市が好きな理由を聞いたときに「“ツバメコーヒーがあること”と言ってもらえるようになること」と言っています。自分が生まれ育った町を少しでも誇らしく思えたら良いなと思いますね。
それから複合店舗としてもっと充実させていきたいということがあります。例えば、真ん中にショウルームとしてのカフェがあり、周りに美容室や花屋や本屋など色々なお店があり、カフェでの滞在体験での気づきや共感によって周りのお店で購入できるような場所です。隣接したお店の価値をより知らしめてくれる場所としてカフェがあれば、カフェはあり続けられるし、良いカフェを存在させるにはそういうあり方も必要だと思います。ショッピングモールはなくても、本屋や花屋、美容室など近い感度を持つ小さなお店の集合体があり、それによってローカルにおける豊かなシーンができたら良いなと思いますね。
【ツバメコーヒー】
住所:新潟県燕市吉田2760-1
電話:0256-77-8781
営業時間: 11:00~17:00
定休日:月曜・火曜
お客様のことを考えて工夫されたカフェなのね~お庭もあって素敵なカフェ!オリジナルグッズも可愛いから近くに行ったら寄ってみましょう♪