
【プロフィール】
黒﨑 一雄(くろさき かずお):新潟市中央区出身。祖父から三代続く漁師の家系で育つ。大学卒業後に家業を継ぐが、水産食品製造業に転身。看板商品の「イカのふっくら焼」はテレビ番組やネット販売で大ヒット。現社長の次男とともに、素材にこだわった商品を生み出し続けている。
『新潟人268人目は、「イカ屋荘三郎/㈱辰正丸」の取締役会長・黒﨑一雄さんです。時代の変化によって、漁業から水産食品製造へと転身した黒﨑さん。「いいものを届けたい」という想いで生まれた看板商品「イカのふっくら焼」についてお話を伺いました。温かく真摯にご対応いただき、ありがとうございました!』
三代続く漁師として
──漁師の家系だったのですね!
黒﨑さん:祖父は北蒲原の浜で地引網や定置網を営んでいましたが、新たな飛躍を目指して新潟市へ移り、この土地で漁船漁業を始めたそうです。
父の代になると越佐海峡などの沖合漁業に移行し、さらにはサケ・マスを求めて北洋漁業に出漁しました。
──幼い頃から漁業が身近だったのですね。
黒﨑さん:子供の頃から祖父や父の姿を見てきましたからね。当たり前のように「自分も継ぐもの」だと思っていました。
ところが、私の代になった頃に国連で海洋法会議が開かれ、公海での資源管理の取り決めができたんです。サケ・マスについては母川に戻るという方針(母川国主義)が決まり、それまで生業にしてきたサケ・マス漁ができなくなってしまいました。

昭和47年頃 かつて所有していた船内凍結イカ釣船(100トン)
──漁業ができなくなると分かった時、どんなお気持ちでしたか?
黒﨑さん:途方に暮れました。家業を継ぐつもりで東京の水産大学を卒業し、3年間修業をして新潟に戻ったばかりでしたからね。水産業に対する思い入れも強かったですし…。
──すぐに切り替えられる状況ではないですよね…。
黒﨑さん:でも現実は厳しく、感傷に浸っている暇はありませんでした。漁船の処分や漁師たちの再就職の手配で手いっぱいでしたね。
周囲からは「30代の若さで、人が60~70歳までに経験する苦労をしてしまったな」と言われました(笑)。

逆境を跳ねのけて、水産食品製造業の道へ
──そうした中で、水産食品製造業に進む決断をされたのですね。
黒﨑さん:活路を見出そうと考えたのが、「水産食品製造業」でした。
──製造はゼロからの挑戦ですよね?
黒﨑さん:そうです。妻の実家が異なる業態の飲食店を手広く展開していましたので、会社の整理後に手伝わせてもらい、多彩な調理法などを教わりました。
それまでは包丁すら持ったことがなかったので、すべてが初めてでしたね。そこで学んだことを生かし、加工場を作って独立しました。
──最初に作った商品は何でしたか?
黒﨑さん:「イカの塩辛」です。当時の水産加工業界の原料選びは、ややもすればB級品を使う傾向がありました。しかし、「同じことをしては生き残れない」と思ったんですよね。
だからこそ、「とにかく素材にこだわろう」と決めました。

──どのような工夫をされたのですか?
黒﨑さん:漁業経験者としての知識を生かし、冷凍設備を完備した漁船でイカを獲り、“鮮度を保ったまま急速冷凍されたイカ”を採用しました。
刺身でも食べられる品質のイカを使用したので、当時は「もったいない」と驚かれました。“他所とはひと味違う商品を作る”というのが出発点でしたね。
──漁師としての経験が生かされているのですね。
黒﨑さん:それに加えて、「素材にこだわり、家庭では出来ない“プロとしてのひと手間”を掛けて、旨さを引き出す」という理念を徹底しました。
最初はイカの塩辛から始めましたが、商品ラインアップを広げるために商品開発にも取り組みました。良い素材を使っていたおかげで、幅広く好評をいただけたと思います。
──商品づくりのイメージはどのように生まれるのですか?
黒﨑さん:「お客様の選択肢を増やしたい」という思いからですね。インターネットを通じて、全国のお客様に多彩な商品から楽しく買い物をしていただく為に、100アイテムほど考案しました。
冷凍商品は、解凍すれば作った時に近い味で食べられますし、“食材の良さ”が最大限に生かせるんです。

メディアと出会い、広がる販売の場
──テレビで取り上げられるようになったきっかけを教えてください!
黒﨑さん:お中元やお歳暮需要の減少で売上が落ち込んでいた時期に、日本テレビの「人生が変わる深イイ話~旨イイスペシャル~」からの声掛けがありました。
多数の候補の中から10社に残り、看板商品の「イカのふっくら焼」を持って収録に行ったんです。
──反響はいかがでしたか?
黒﨑さん:放送後、電話がパンクするほどの注文が入りました。ネットでは1時間で1,300件の注文を受けて、“お届けまで3ヵ月待ち”の状況です。
まさにどん底からの大逆転でしたね。
──その後の展開も順調でしたか?
黒﨑さん:テレビ局やデパートの繋がりから、催事に次々と呼ばれるようになりました。
デパートは売れないものは扱ってくれませんし、衛生管理も厳しくチェックされます。そうした信頼を勝ち得たことが、自信にも繋がりましたね。

偶然から生まれた看板商品
──「イカのふっくら焼」はどのように生まれたのですか?
黒﨑さん:「イカの塩辛」を身の部分だけで作っていたので、ゲソが残ってしまっていました。取引先から、「お中元商品の購入者におまけをつけたいが、何かいい商品はないか」と相談を受けたんですね。
そこで、余っていたゲソを甘辛の醤油漬けにして提供したんです。
──それが好評だったのですね!
黒﨑さん:ありがたいことに「美味しい」と評判になり、イカの胴体を中心に耳やゲソなどのすべての部位を入れて商品化しました。一般的にイカは加熱すると硬くなりますが、当社のふっくら焼は柔らかく、ご年配の方でも食べられます。
召し上がったお客様が「とてもふっくらしている」と言ってくださり、そのまま商品名にしました。

──お客様との印象に残るエピソードを教えてください!
黒﨑さん:催事の試食で「懐かしい味だ」と喜んでいただけたり、家庭で焼いていたら「匂いにつられて家族が集まってきた」という話を聞いた時ですね。
日本人は、やっぱりイカが大好きなんだと感じました。
──黒﨑さんの原動力になっているのですね!
黒﨑さん:もう一つ忘れられない出来事があって、所ジョージさんのテレビ番組で商品を取り上げてもらった時、試食した所さんが「これは日本の文化と言っていいんじゃない?」と言ってくれたんですよ。
その言葉を聞いて、これまでの苦労が報われた気がして嬉しかったですね。「国産素材のいいものを使う」というコンセプトを貫き通してきた結果だと思います。“信念を曲げずにコツコツ積み重ねれば、努力は報われる”と実感しました。

変わらぬ信念とこれからの挑戦
──商品やサービスを通じて、お客様に伝えたいことは何ですか?
黒﨑さん:「いいものを届けたい」ということです。ひと手間をかければ、味が大きく変わります。その“ひと味違うこだわり”が、お客様の「美味しい」に繋がると信じています。
──最後に、今後の目標を教えてください!
黒﨑さん:まだまだ新しい商品を作りたいです。アイデアはたくさんあるので、これからも商品開発に携わり続けたいと思います。
また、「漁師が命懸けで捕獲した海の恵みを無駄なく大切に生かす」ということを、息子にも引き継いでもらいたいです。
──今後の新商品も楽しみにしています!
黒﨑さん:現在は県外からの注文が多いので、新潟県の方にも当社を知っていただきたいと思います。
お中元やお歳暮商品はもちろん、日常使いできる商品も揃えているので、インターネットはもちろん、ぜひ店舗にも足を運んでいただきたいですね。

【イカ屋 荘三郎(株式会社 辰正丸)】
住所:新潟市中央区稲荷町3615
電話:025-229-9262(9:30~12:00、13:30~17:00)
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「イカのふっくら焼」を私も食べてみたいわ♪